わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

「折々のことば」(朝日新聞)再読

2021年8月29日

 

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もうすぐ収穫? 散歩道で

 

朝日新聞の第1面の「折々のことば」(鷲田清一筆)が5ヶ月ほどの休みを終えて今年7月1日から再開されました。再開後、もっとも気になった(気に入った)ことばを2つ取り上げてみました。

 

「モノはね、壊れたら捨てるのではなくて、直すものなんだよ」(2021.7.27)

          ディエゴ・マルティー

 

 「『甘い嘘(うそ)よりも、苦い真実』、イタリア人は率直な物言いを好むと、イタリア育ちの日本文学研究家・詩人は言う。幼い頃。喧嘩(けんか)ばかりしている祖父母に『どうして離婚しないの』と訊(き)いた。答えがこれ。もちろん摩擦にも限界はある。が、その限界値を高めておけば、関係はいずれ金継ぎされて前より強くなると。では社会においてこの金継ぎとは。『誤解のイタリア』から。」

 

私はこの冒頭の一文を読んだ時に、壊れるのが夫婦関係や社会の人間関係などだとは考えつかなくて、単純に道具などの「物」だとおもってしまいました。素直に、「物は壊れても捨てないで、直すものだんだよ」と言っているのだとおもい、それでも妙に納得しました。しかしここで言うように壊れるのが人間関係だとやっかいですね。壊れた物は何とか修理して使えても、一度壊れた人間関係はそのまま死ぬまで放置しっぱなしとなる場合が多いです。この修復は難しい。イタリアのような素直な物言いを通して関係が修復出来る環境はうらやましいです。

 

 

 「何もないところに、種を植えた。芽吹いた。咲いた。枯れた。抜いた。残った。よどむ日々を浄(きよ)めた時間が、残った。」(2021.8.5)

          齋藤陽道(はるみち)

 

 「コロナ禍での『自粛』要請とともに、家族四人だけの日々が『ぽかんと始まった』。写真家は庭の片隅に向日葵(ひまわり)の種を植えた。あっという間に家族の背丈を超え、黄色の花もやがて家族を見下ろしつつ枯れた。情報と雑音ばかりの中で、家族で向きあえた一つの生命との濁りのない時間。随想『時間が残った』(『ちゃぶ台』6号)から。」

 

この文章の体験は、まさに私がこの夏に体験したことと同じでした。春にヒマワリの種をまいて、あっという間に元気な双葉が出て、どんどん背丈が延びて、まだ夏じゃないよというのに大きな花を咲かせ、感動していたら、あっという間に枯れてしまう。そして枯れたヒマワリを引き抜いて、植物の一生をしみじみと味わう。本当に至福の時間の連続でした。種から植物を育てることの楽しさを、このコロナ禍でも味わうことができました。

 

また秋風が吹き始めたら来年の春に向けての種まきや球根の植え付けの時期がきます。皆さんにも是非おすすめします。小さな鉢でいいので、種や球根を買ってきて、このコロナ禍の中で、植物の成長を楽しみましょう。