タツナミソウ(シソ科・タツナミソウ属)
タツナミソウ。漢字で書くと立浪草。美しい名前です。小さな花がちょうど葛飾北斎の浮世絵の波を思わせます(葛飾北斎作『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』)。4月〜5月ごろに青や紫色の可憐な花を咲かせます。私が描いたのは白い花でした。シロバナタツナミソウ(白花立浪草)とよばれる種類かもしれません。シソ科なので、早春に田んぼの畦道や野原で赤紫の花を咲かせる同じシソ科のホトケノザや、先日描いたラベンダーと花の感じが似ています。茎は赤みを帯びていて断面は四角形。
多年草(宿根)なので、放っておいても季節が来ると咲いてくれます。庭のグランドカバーになりますが、しつこい感じではありません。うちの場合は、ご近所さんが植物を分けてくださいました。このように人から頂いた草や木が結構あります。皆、頂いた人の思い出といつまでもつながります。
立浪というと、ある程度若い人はプロ野球中日ドラゴンズの立浪選手を頭に浮かべると思います。私の場合は立浪というと大相撲の立浪部屋です。それも立浪部屋の力士全員ではなくて、昭和30年代に活躍した北の洋(きたのなだ)です。私が小学校4年生の頃、白黒のテレビでやっていた大相撲中継を見に、時々友達の家に行っていました。当時は横綱栃錦と若乃花の全盛時代。もう大鵬や柏戸も登場していたと思います。それらの力士のなかで、前頭筆頭や小結・関脇あたりにいて、出足の速い押し相撲で強かったのが北の洋。「速攻北の洋」と呼ばれていました。クラスで休憩時間や放課後に相撲をして遊んだ時に、私はこの北の洋をイメージして相撲をしていました。しかし、体が小さかったので、押しても押しても同級生にすぐに押し返され、投げ飛ばされる。ああ、懐かしい。
タツナミソウは可憐です。波が押し寄せるように春の庭に広がります。ちょっとしゃがんで気軽にスケッチしたくなる植物です。
野鳥
2020年6月1日
6月になりました。我が家のある丘を下って谷筋の農道を歩く毎朝の散歩でも、少し汗ばむほどになりました。近くの農家では桃の袋掛けが2週間程前に終わり、今はブドウのハウスの手入れ、そしてそろそろ田植の準備です。空には若いツバメが元気に飛び回り、時々群れで田んぼの中の水たまりに降りて水を飲みます。ホトトギスもどこかで「テッペンカケタカ」と鳴き始めました。もう夏が近いです。
今日は散歩道から少し離れた遠くの草むらにキジの子供2羽を見つけました。親鳥はよく見るのですが、子供は初めて。草に隠れながら走る小さな姿が可愛いい。たまたまカメラを持っていたのでシャッターを切りましたが、日頃からバードウオッチングをやり慣れているわけではないので、うまく鳥の姿をとらえられません。それでもなんとか2枚ほど撮りました。それからしばらく歩いた所で、ケリという鳥の姿も間近に見えたので、これも撮影。ケリは農道のすぐそばに巣をつくっているのでしょう。人が近づくと警告のために鋭く鳴きます。
帰宅して、撮った写真をもとに、キジのスケッチをしました。しかし、これがなかなか難しい。地味な羽色なので草むらをバックに目立ちません。結局このスケッチはうまくいかず、今日はスケッチ無しのブログとなりました。
新型コロナウイルスの感染が全国的におさまって、今日から学校を再開する地域が増加。私達の地域でもマスク姿で自転車に乗る中学生や小学生の登校の姿が見られるようになりました。少しずつ「ポストコロナ」の新しい学校システムができ、子供も大人もそれに慣れていかなければなりません。
この本もう読みましたか? 『雪沼とその周辺』(堀江敏幸著、新潮文庫)
雪沼を水彩画で描いたらどんな町だろう。山間の農家が点在する県道沿いの町かな。その周辺にはある程度開けた川沿いの町並みもあるのだろうか。これまで私が描いてきた沢山の田舎の町や村の中に、その雪沼が実際にありそうな気がします。
作者は堀江敏幸。1964(昭和39)年岐阜県生まれ。生まれ育った岐阜の田舎のイメージが文章の底辺に流れているのかもしれません。まだ比較的若い芥川賞受賞作家ですが、文章は静かで落ち着いています。理性的で、かなり知的で、扱っているのは田舎の日常なのに、まるで田舎臭さが感じられません。会話には方言がなく素直な標準語。雪沼という地名や、文中にしばしば出てくる東京とのつながりから判断すると、関東甲信越地方のどこかというイメージですが、それを具体的に示すものはありません。
川端康成文学賞を受賞した「スタンス・ドット」など、短編が7篇。ボーリング場、レストラン、レコード店などを舞台に、喜怒哀楽を抑えた調子で淡々と人々のドラマが書かれています。現場の状況の説明が丁寧です。長く仕事に生きてきた人達のストーリーはハッピーエンドでもなければ、悲しい別れでもない。それでも、どの短編も余韻の残るエンディング。きっと日本中のどこにでも普通にありそうな話。それだから普遍的に皆から支持されるのだと思います。
ミステリーやサスペンスや恋愛文学やユーモア文学とは全く異質の文学の世界。描いている世界の独自性(日常的なのに独自性がある)。作品全体に行き渡る落ち着きと静けさと安心感。文章の飾らない素直さ。私がやっている水彩画の世界でも、こんな個性を発揮できたらいいなとおもいます。
ラベンダー(シソ科・ラベンダー属)
ラベンダーというと北海道富良野のラベンダー畑がまず頭に浮かびます。それぐらい富良野のラベンダー畑の青紫色は見事です。ラベンダーはもともと冷涼な場所で栽培されることが多いのですが、なぜか我が家の庭の隅でも元気に咲いています。岡山県ですと県北の涼しい山間地域にラベンダーで有名な公園があります。
ラベンダーは代表的なハーブです。しかし、我が家のラベンダーはそんなにいい香りがしません。生育時期の気温が高いのが影響しているのでしょうか。または香りがよいのとは別の種類なのでしょうか。それでもせっかく咲いてくれているので、時々10本ぐらい摘んでまとめてお風呂にいれてラベンダー風呂にしたりします。香りはないのですが、雰囲気はいいです。
ラベンダーを描こうとすると、花が小さくてややこしそうだし、葉っぱが多くて面倒な感じがしますが、実際描いてみると割合描きやすい花です。多少形がゆがんでも色付けかおかしくても、描きあげるとある程度ラベンダーらしく見えるから不思議です。今日は鉛筆(太めのB)と水彩で描きましたが、Hや2Hの先の尖った鉛筆やペンなどを使うと、とことん丁寧に描きたくなります(以前、ペンと色鉛筆で描いた絵もついでに載せます)。植物はペンで描くと雰囲気がやや固くなって、生き物特有の柔らかさの表現が難しいと思います。目的が植物観察で、なるべく形を正確に描こうとする場合には、細いペンは役に立ちます。
ラベンダーは古代ギリシャ・古代ローマでは入浴剤として使われたようです。従って、その伝統は今でも引き継がれていることになります。そして富良野のファーム富田ではラベンダーソフトクリームが食べられたような記憶が・・・。はやくコロナが終息して、また北海道富良野でソフトクリームを食べながらラベンダー畑をスケッチできるといいです。
カーネーション(ナデシコ科・ナデシコ属)
5月第二日曜日の母の日にカーネーションを送る習慣は日本でも定着しています。もともと20世紀の初めに米国東部ウエストバージニア州でスタート。日本では大正時代に教会で行われるようになり、戦後大きく広がりました。米軍占領下の日本で、母の日のカーネーションが戦争で打ちひしがれた国民の気持ちを明るくしたのかもしれません。
これだけ愛される花なので、アメリカでは各州の州花に選ばれているのだろうとおもって調べてみると、注目のウエストバージニアの州花はツツジ。全米で唯一、ウエストバージニアの西隣に位置するオハイオ州だけが、カーネーションを州花に採用していました。そう言えば日本だって、「大和撫子」と何かにつけて言う割には、ナデシコを県花にしている都道府県は全国にひとつもありません(京都府だけが「府花」の次の「府の草花」に指定しています)。
水彩画の世界では、特に女性の画家を中心に(世界的に)バラやカーネーションなどの華やかな花を花瓶にいけて描くことが大流行です。実際の花以上に見事に描かれた花たちをみて、美しさにため息が出そうになりますが、私などはそういう絵が“氾濫”するこの世界を見ていると、ちょっと「自分とは違う」と思ってしまいます。一番私にとって不満なのは、どの絵も皆同じに見えて個性が無いことです。「皆うまくて皆同じ」です。多分、絵がとても魅力的でしかも水彩画的なので、この絵の描き方を指導する先生の影響を受ける人が多いのでしょう。初めはそれでいいのですが。いつか自分で気がついて、自分だけの個性的な絵の世界を作り出す必要があります。そうでないと人に埋もれてしまいます。
それで今回は花を筆ペン(青墨)でさっさと描いてみました。筆ペンは風景スケッチで私がいつも使っています。花は鉛筆で下書きするのが普通だと思いますが、筆ペンだと、繊細さは無いけれども速さのある力強い絵になります。ちょっと絵手紙のような感じですが、時にはこんなのも面白いでしょう。筆ペンを使う場合は、植物だけでなく花瓶や鉢がある方が絵として全体のおさまりがいいです。
セイヨウリンゴ(バラ科・リンゴ属)
リンゴは植物学的にはセイヨウリンゴと呼ばれます。江戸時代末期から明治にかけてアメリカから苗が移入され、その後、明治後半から青森県や長野県で盛んに生産されてきました。冷涼な気候を好む木ですが、私の住んでいる岡山県のような温かい場所でも時々リンゴの木を見かけます。実は私の家の庭にも数年前まで小さなりんごの木があり、毎年2つ3つなる実を大事に育てていました。しかし、やはりこのところの夏の暑さには勝てず、残念なことに枯れてしまいました。私が毎朝歩く散歩道にも近所の農家が育てているリンゴの木があります。岡山市あたりでは4月の終わり頃に花が咲きます。
リンゴのピンクがかった白い花は清楚です。この花を見るとどうしても連想するのが、島崎藤村の詩「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えし時 前にさしたる花ぐしの 花ある君と思ひけり」です。確か中学校3年の国語で習いました。
それから何年も経って、ずいぶん歳をとってから初めて青森県や長野県を旅行した時、リンゴがたわわに実る大規模なリンゴ農園を見て感動しました。最近はいろいろな果物がいつでも食べられる時代ですが、やはり果物の王者はリンゴだと思います。日本では高品質のリンゴが沢山収穫されて、しかも冷蔵保存が効くので1年中食べることができます。多少古くなっても、細くスライスして電子レンジ500Wで2,3分熱すると美味しい焼きリンゴになります。
リンゴは絵のモチーフとしてもよく使われます。絵画教室などに行くと、初心者はまずリンゴをよく描かされます。しかし、リンゴを描くのは実はそれほど簡単ではありません。リンゴの配置、光の当たり具合と影の具合、立体感、色合い。どれも難しい。機会あるごとにリンゴを描いて、だんだん絵の腕が上がっていきます。フランス印象派の画家ポール・セザンヌもせっせとリンゴを描き続けました。貧乏だったセザンヌは、安くて保存の効くリンゴにはおおいに助けられたことでしょう。
オオキンケイギク(キク科・ハルシャギク属)
今日は朝の散歩道できれいなキバナコスモスの花を見つけたので、摘んで帰ってスケッチしました。あとでよくよくネットで調べたら、実は特定外来生物のオオキンケイギクだったという笑い話(失敗談)です。
キバナコスモスの花とオオキンケイギクの花はよく似ていて、区別がつきません。どちらも似たような黄色やオレンジの花色で、見た目がそっくり。ちょうどこの5月〜7月はオオキンケイギクの花期のようですが、キバナコスモスも5月頃から秋まで花が咲くのでややこしい。
見分け方は花びらに入ったギザギザの数がキバナコスモスが少ないのに対してオオキンケイギクは多数。そして決定的な違いは葉にあります。キバナコスモスの葉にはちょうど春菊の葉のように切れ込みがたくさんありますが、オオキンケイギクはスッとした長細い葉です。私の場合もこれを手がかりに最終判断しました。
それにしてもオオキンケイギク。名前を漢字で書くと大金鶏菊。豪華な名前です。北アメリカ原産の多年草。明治時代の初めに日本に入ってきました。日本に入ってからたくましく繁殖し、日本の在来種を次々駆逐し始めたので、特定外来種として指定され、その栽培や移動が禁止されています(駆除が推奨されています)。嫌われ者のためか、我が家の植物図鑑2,3冊にはオオキンケイギクの名前はありません。でも、花言葉は「いつも明るく、きらびやか、上機嫌,陽気」で文句なし。ちなみにコスモスはメキシコ原産の一年生草で明治の初めに日本に渡来。キバナコスモスもメキシコ原産の一年草で大正時代に日本に渡来しました。
この時期、私みたいに間違ってオオキンケイギクを家に持ち帰ったりしないといいですね。春に種をまいたキバナコスモスが咲きだすのを待ちましょう。