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美術館をめぐる旅 ― 岡山市立オリエント美術館 (岡山県岡山市北区)

2018年8月


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 岡山市立オリエント美術館で開催中の特別展「シルクロード新世紀 ヒトが動き、モノが動く」を見ました。この美術館は1979年に開館し、まもなく開館40周年を迎えようとしています。



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 この特別展のタイトルの中にある「ヒト」と「モノ」は、それぞれ「人類」と「考古学的・文化的遺物」を示しています。私達(新人、現生人類:学名ホモ・サピエンス)の祖先は今から20~30万年前に東アフリカで誕生し、しばらくアフリカにとどまった後、約10万年前にアフリカを出て、一部は西アジアに、そして一部はヨーロッパに移動したと考えられています。西アジアやヨーロッパには旧人ともよばれるネアンデルタール人がすでに住んでいました。もともとネアンデルタール人はヨーロッパに分布していたのですが、約7万年前に地球規模の寒冷化が起来た際に、ヨーロッパ中部以北が氷河に覆われたため、住むところを失って西アジアさらにその東方面へ移動しました。現在シルクロードとよばれているユーラシア大陸の交通路周辺でもネアンデルタール人と我々現生人類は出会う機会があり交雑(混血)したようです。最近の科学的調査結果によれば、現生人類の遺伝子DNAの中には何%かネアンデルタール人DNAが混じっているそうです。日本人も例外ではありません。ネアンデルタール人だけでなく、それより古い自分たちの祖先に当たる原人とも出会った可能性も指摘されています。シルクロード周辺は異なる人類の移動と出会いの場所だったようです!! 

 

 しかし、ネアンデルタール人は2万数千年前に絶滅しました。体が大きく、体力も狩猟能力も現生人類より優れていたのに、なぜ絶滅したのか、その理由はよくわかっていません。一説によれば、現生人類が集団で共同生活することでコミュニケーション能力を高め、集団内での経験を蓄積し子孫に伝えていったのに対して、ネアンデルタール人は一人や家族単位で生活したため、危機に対しても孤立する場面が多かったのではないかと言われています。

 

 このネアンデルタール人や現生人類のユーラシア大陸移動はもちろん徒歩なので、移動にとんでもない時間がかかっています。大陸の人口も非常に少ないので、移動中に他の人(人類)に出会うことも稀だったことでしょう。現生人類が狩猟生活で獲物を追って少しずつ東に移動し、今の中国やロシアを経由して、あるいは南アジアから海を渡って、日本列島に到達したのが今から約4万年前です。

 

 人類の移動に伴って、石器も動いています。展示品で真っ先に目を引いたのがアフリカで出土したハンドアックス(手斧)とクリーヴァー(肉切り包丁)。大きな打製石器です。これで獲物の動物を殺し、解体したようです。これが次第に西アジアイスラエル、ヨルダン、イラン)に移り中国東北部にも伝わります。

 

 一方、新しい技術で製作された小型の石器が中国東北部などのユーラシア大陸東部に登場します。押圧剥離(おうあつはくり)技法とよばれるこの技術は、特殊な加工や細かい作業に適した石器を作るもので、2万年~2万5千年前に開発され、日本列島にも到達しました。そして土器も1万5千年前から中国東北部などで作られはじめ、各地に広がっていきました。日本の打製石器使用の時代は旧石器時代という時代区分になります。その後縄文時代になり、その時代は約1万年も続きました。打製石器に代わる磨製石器の使用。縄文式土器縄文時代新石器時代に対応します。どんぐりなどの木の実の採集と狩猟が中心の森の生活。シベリア並の寒さの氷期も体験しています。縄文時代ってどんな時代だったのか、私はとても関心があります。

 

 そして展示の中盤と後半はかなりおなじみのシルクロードの成長の話。ヒト(今度は私達人間ホモ・サピエンス)とモノ(交易品など)の活発な交流の歴史が展示されています。かなり膨大な資料の展示で、とても見ごたえがあります。私ははじめに書いたようなシルクロードが交易の道として繁栄する以前のこの地域の姿に興味を引かれましたが、この美術館の得意な分野はむしろシルクロードが交易の道として盛んに利用された時代の文化財の紹介と展示だと思います。

 

 展示品が多く、説明が丁寧なので(とてもわかりやすいです)、全部見るには時間がかかります。展覧会解説図説の購入をおすすめします。なお、この展示は9月9日までで、続いて東京池袋の古代オリエント博物館で年末まで開催されます。