わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

イグサ絶えて 畳の町は 静かなり (岡山県都窪郡早島町 水彩スケッチ)

2018年9月


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かつてイグサ製品(たたみ表、花ござ)の生産が日本一だった岡山県都窪(つくぼ)郡早島町を訪ねました。私がこの辺りを初めて訪れたのは今から50年以上前、小学校の修学旅行で岡山・倉敷と香川県の高松を旅行した昭和30年代の半ばのことです。貸し切りバスの窓から見えた青々と広がるイグサ畑と海岸近くの干拓地にある流下式塩田は、山陰で育った私には物珍しい光景でした。それが今は2つとも全くこの地方から姿を消してしまいました。早島地区でのイグサの生産は完全に無くなり、従ってイグサ製品の製造も無くなりました。
 
早島はその名のとおりかつては瀬戸内海に浮かぶ島でした。縄文時代には今より気温が1,2℃高い時期があり、海水面が今より5mも高く、そのため日本列島の海岸の低い土地は海に沈んでいました。いわゆる「縄文海進」とよばれる歴史的に大事な出来事です。その後、気温が下がり、海岸線が海の方へ後退し、また浅瀬が干拓されて土地が広がった結果、早島も本土と陸続きとなりました。しかし干拓地は塩害で水稲栽培に向かず、この地方では塩に強いイグサが、そして同じく島であった現在の倉敷市児島周辺の干拓地では綿花栽培が盛んに行われ、早島ではたたみ表や花ゴザなどのイグサ製品の製造産業、児島では綿織物工業が発達しました。児島は学生服の生産で有名で、その後ここで日本最初のジーンズが誕生し、児島は今や日本のジーンズの聖地と言われています。このように干拓とその干拓地での農業生産が地域の産業の発達と密接な関係をもったことがよく分かります。
 
しかし、イグサ産業の衰退もまた速やかでした。私達日本人の生活の中で畳・ゴザを使う割合が昔に比べて格段に減ったことが大きな原因です。また、安価な中国からの輸入イグサが幅をきかせはじめ、更に土地の改良や稲の品種改良が進んで、イグサから稲作に転換する農家が多かったのではないかと思います。しかし、農業従事者は中四国地方では約50%が70歳以上の高齢者。担い不足が深刻です。早島町は広い平野部をもつ町で、岡山にも倉敷にも近く、住むのにとても便利な場所にあります。やがて宅地化が進み、この地域の農業はまた更に衰退の方向に向かうのかもしれません。


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今日は町の中を1時間ばかり歩いてスケッチポイントを探しました。32℃の暑い中、よく歩きました。結局描くことに決めたのは古い倉庫でした。はじめはイグサの保管倉庫かなと思ってスケッチしていたのですが、絵を描き終わる頃に絵を見に来てくださった人が、「ここはコメの保管に使っていました」と説明してくれました。この倉庫の持ち主の方でした。以前はイグサ保管倉庫やイグサ製品を売る店が通り沿いに沢山並んでいたようです。今残っているのはわずか。私の描いた倉庫も修理中でした(解体ではないことを祈っています)。町は日曜日のせいもあって静かです。今日はここに来て、イグサ文化の雰囲気をしっかりと描き止めないと、と思いました。
 
今年の夏は、西日本を襲った水害とそれに続く記録的猛暑の連続で全くスケッチに行けず、今日は約2ヶ月ぶりのスケッチとなりました。やっとスケッチができてホッとしました。



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ウオーターフォード水彩紙 中目 F6 
青墨筆ペン
シュミンケ水彩絵の具
所要時間:2時間