わたしの水彩スケッチと読書の旅

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こんな本読んだことありますか? 「経済と人間の旅」 (宇沢弘文著、日本経済新聞出版社)

2017年3月18日

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この本は、先日私の誕生日に義妹が贈ってくれました。著者の宇沢弘文さんは1928年鳥取県米子市生まれ。私も同じ米子の中学と高校で勉強したので何か気分的に共有出来る部分が多いだろうと思って勧めてくれたのでしょう。ただし、宇沢さんは親の都合で3歳で東京に移り、旧制府立一中、第一高等学校、東大理学部数学科卒。私と違って超秀才です。数学から経済学に移り、アメリカの幾つかの大学で研究の後、帰国。東大教授などを歴任しました。1997年文化勲章受賞。2014年死去。
 
本の前半は、第一部「私の履歴書」で、日本経済新聞に連載されたものです。この第一部はとても読みやすく、著者の研究活動を通して日本の経済の発展の流れがよく分かります。経済学の中にもいろいろな分野があるのでしょうが、経済学をやっていこうと思うととにかく数学の力が必須だということが理解できます。そう言えば、私の高校時代の同級生でも、大学で経済学部に行った人たちは数学ができる人が多かったように思います。宇沢さんの場合は理学部数学科から経済に移ったので、数学による解析や経済のモデル化などの作業は多分お手の物だったのでしょう。
 
しかしながら、長い間経済学者として活躍してきた著者が最後に感じているのは、「経済学のあり方」に対する疑問です。第一部の書き始めの部分「経済学者 ― 人間回復、考える時に」から引用します。
 
「日本は戦後復興をばねに驚異的な経済成長を遂げ、先進国の仲間入りを果たして明治以来の夢が実現した。しかしその過程で美しい自然は失われ、豊かな自然とのかかわりの中で築きあげられてきた日本の地域社会は無残にも崩壊しつつある。
 道といえば自動車優先で、人間はおっかなびっくり歩かなければならない。地元が『もう、いらない』と言っていうのに、強権を発動してダムや堤防を無理やりつくって押しつける。そんな『人間不在』の政治、行政の論理ばかりがまかり通る。国民の税金を費やしてである。
 その結果、国と地方を合わせて六百六十六兆円に及ぶ負債を抱えることになった。この莫大な借金を背負い、何十年にもわたって返済の責務を果たさなければならないのは、子どもたちなのである。昔から『子は宝』といわれてきた。その子どもが大人たちに負債を押しつけられ、つけを払わされる。なんと悲惨なことだろうか。
 私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった。」
 
戦後日本を代表する経済学者のこの言葉は重いです。効率性のみを追求し、社会の公平、平等という視点を経済分析や将来プランの中に織り込まなかった反省の気持ちが強く込められています。第二部の人間と経済学では、専門的な立場から、混迷する近代経済学の課題、拡大する新たな不均衡、ケインズ主義を問う、二十世紀とは何だったのか、などについて持論を展開しています。専門的な概念が多くて理解しづらいところもありますが、現代人が教養として知っておきたい宇沢さんの経済論が展開されています。
 
世界中で資本主義と社会主義の国家が入り乱れて、それぞれの経済体制を支える経済理論に従って国民を統治、あるいは管理しています。経済学者の研究成果を国の経済政策に生かすというのは我が日本の安倍内閣でもアベノミクスの推進に向けて絶えず行われていることです。経済が政治に直結していることを実感します。我々国民は、いわば経済理論の是非を問う壮大な「社会実験」の中に組み込まれているわけです。したがって、時代をリードする経済学および経済学者は国民に対してとても重要な責務を負っていると言えます。我々も「こんなの面倒くさい」と言って経済の勉強をしないでいるわけにはいかない時代に生きています。