わたしの水彩スケッチと読書の旅

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名著を読む 『思考の整理学』(外山滋比古著、ちくま文庫)(そのI)

2020年8月8日

 

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8月6日広島の原爆記念日には、このところ続いた小説読みに飽きて、前日から、久しぶりにちょっと気分転換したいと『思考の整理学』を読み始め、夕方には残り数ページのところまで来ていました。一日浸った読書に疲れて、タブレットで何気なくインターネットニュースを見ていたら、この本の著者である外山滋比古さん死去のニュースを知りました。偶然のことで本当にびっくりしました。

 

私の持っている文庫本は2009年第56刷版です。本の帯には「東大・京大で一番読まれた本 — 2008年大学生協調べ」とありました。若い世代の人達に読まれ続けるロングセラーです。私の場合、2009年頃に買って、半分ぐらいまで読んで途中で投げ出していました。当時は前半の内容が常識的すぎる気がして、あまり読み進む気分にならなかったのですが、今回は何かしらひかれるものがあって、最後までじっくり読みました。外山さんの本が本棚からたまたま私に呼びかけてくれたのでしょうか。本当に不思議な気がします。

本書は全体がI〜VIの6部構成になっていて、私の場合は前半より後半に参考になるところが多くありました。亡くなられた外山滋比古さんのご冥福を祈りつつ、今回、この本の各部をあらためてゆっくり紹介したいと思います。

 

第I部の冒頭にある「グライダー」の書き出し部分を引用します。

 

「勉強したい、と思う。すると、まず、学校へ行くことを考える。学校の生徒のことではない。いい年をした大人が、である。こどもの手が離れて主婦に時間ができた、もう一度勉強をやりなおしたい。ついては、大学の聴講生にしていただけないか、という相談をもって母校を訪れる。実際の行動には移さないまでも、そうしたいと思っている人はたくさんあるらしい。(中略)

 学校はグライダー人間の訓練所である。飛行機人間はつくらない。グライダーの練習に、エンジンのついた飛行機などがまじっては迷惑する。危険だ。学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。勝手に飛び上がったりするのは規律違反。たちまちチェックされる。やがてそれぞれにグライダーらしくなって卒業する。

 優等生はグライダーとして優秀なのである。飛べそうではないか、ひとつ飛んでみろ、などと言われても困る。指導するものがあってのグライダーである。」

 

外山さんの経歴を見ると、約20年間、お茶の水女子大英文科で、それから10年間は、昭和女子大英文科で教授をなさっています。この間たくさんの優秀な女子学生を見てこられて、真面目でよく勉強する優秀な学生さんたちが、なぜか自分で飛ぼうとしないことにたびたび歯がゆい思いをされていたのだろうと勝手に想像します。

 

次の文章を見ると、英文科独特の学問の雰囲気も垣間見れます。

 

「明治以来、日本の知識人は欧米で咲いた花をせっせととり入れてきた。中には根まわしをして、根ごと移そうとした試みもないではなかったが、多くは花の咲いている枝を切ってもってきたにすぎない。これではこちらで同じ花を咲かせることは難しい。翻訳文化が不毛であると言われなくてはならなかったわけである」

 

英文科ではどんな勉強・研究をするのか、原著の翻訳が主な勉強なのか、理系だった私にはよく分かりませんが、英文学という同じ分野の学生や研究者が日本だけでなく世界中に多数いる学問領域で、自分の個性を放って輝くことが極めて困難であることは容易に想像できます。英文科の学生が卒業論文のテーマや内容をいきなり自分で考えるというのも、なかなか大変そうです。理系の場合には私が卒業した理学部でも、また工学部、農学部、薬学部でもテーマはほぼ例外なく指導教授から与えられます。自分で選択したり考え出したりすることはまずありません。最低1年間はその与えられたテーマに沿って実験を繰り返し、参考文献を読んで理解し、しっかりとテーマにのめり込みます。その意味でも英文科はやや特殊な(ある意味で自由な)学問分野のように見えます。しかし、英文科での教育を通して外山さんが感じた「自分で勉強する人を育てようとしない(または、なぜか育たない)」従来の日本の教育内容や教育システムに対する思いは、専攻する分野を超えて広く読者(特に現役の大学生などの若い読者)に訴えるものがあります。

 

「現代は情報の社会である。グライダー人間をすっかりやめてしまうわけにも行かない。それなら、グライダーにエンジンを搭載するにはどうしたらいいのか。学校も社会もそれを考える必要がある。

 この本では、グライダー兼飛行機のような人間となるには、どういうことを心掛ければよいかを考えたい。」

 

これが、まさに本書で外山さんが書きたかったことです。

 

第I部では、その他に、「日本の学校では教える側が積極的で親切でありすぎるため、学習者が受け身になる。・・・ 勉強とは、教える人がいて、読む本があるもの、と思いこんでいる。・・・ いまの学校教育ではグライダーを飛行機と誤解する。試験の答案にいい点をとると、それだけで、飛翔力ありと早合点してしまう。これがいかに多くの混乱を招いているかしれない。」などと書かれています。

 

外山さんの文章は、書き写していてよく分かりますが、論理的で大変分かりやすい文章です。大学入試問題(「現代国語」)に頻出したというのもうなずけます。新型コロナで大きく変わる日本の教育。これから日本の教育をどうしたらいいのか。(若い人たちなら)自分はどうやってコロナ後の世界で生き残るのか。そのためには(準備不足がちの今の日本の大学のオンライン授業にのみ頼らいないで)他にどんなやり方でどんな勉強をすればいいのか。是非、この本を読みながら考えてみてください。