わたしの水彩スケッチと読書の旅

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名著を読む 『思考の整理学』(外山滋比古著、ちくま文庫)(そのII)

2020年8月10日

 

『思考の整理学』の2部は「醗酵」という章で始まります。研究のやり方(多分、大学の文学部英文科の卒業研究が念頭に置かれています)の大事なポイントが示されます。現役の大学生にとっては参考になる箇所でしょう(以下の「 」内は本文からの引用)。

 

「文学研究ならば、まず、作品を読む。評論や批評から入って行くと、他人の先入主にとらわれてものを見るようになる。

 読んでいくと、感心するところ、違和感をいだくところ、わからない部分などが出てくる。これを書き抜く。くりかえし心打たれるところがあれば、それは重要である。わからない謎のような箇所が再三あらわれれば、それも注意を要する。

 こういう部分が、素材である。ただ、これだけではどうにもならない。ビールをつくるのに、麦がいくらたくさんあっても、それだけではビールはできないと同じことである。

 これに、ちょっとしたアイディア、ヒントがほしい。それは作品の中に求めるわけには行かないが、どこときまっているわけでもない。ときには週刊誌を読んでいても、参考になることにぶつかることがある。他人と雑談していて、思いもかけないヒントが浮かんでくることもある。読書、テレビ、新聞など、どこにどういうおもしろいアイディアがひそんでいるかも知れない。

 このヒント、アイディアがビール作りなら醗酵素に当る。学生で、ただ作品をこつこつ読んでいるだけという勉強家がいるが、これではいつまでたっても、テーマはできない。論文も生れない。

 アルコールに変化させるきっかけになるものを加えてやる必要がある。これは素材の麦と同類のものではいけない。異質なところからもってくるのである。

(中略)

 これをしばらくそっとしておく必要がある。次の章でのべることになるが、“寝させる”のである。ここで素材と酵素の化学反応が進行する。どんないい素材といかにすぐれた酵素とが揃っていても、いっしょにしたらすぐアルコールになるということはあり得ない。

 頭の中の醸造所で、時間をかける。あまり騒ぎ立ててはいけない。しばらく忘れるのである。“見つめるナベは煮えない”。」

 

このように、外山さんは、研究をアルコール醗酵に見立てて、研究には「研究の素材」+「触媒(酵素)」+「時間」の3つが必要と述べています。これは一般的にいろいろな場面よく使われる比喩で、分かりやすい説明です。

 

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次の「寝させる」の章では、前の章で述べられた「材料を寝させる時間」の説明をしています。結論となる文章を引用します。

 

「努力すれば、どんなことでも成就するように考えるのは思い上がりである。努力しても、できないことがある。それには、時間をかけるしか手がない。幸運は寝て待つのが賢明である。ときとして、一夜漬のようにさっとでき上がることもあれば、何十年という沈潜ののちに、はじめて、形をととのえるということもある。いずれにしても、こういう無意識の時間を使って、考えを生み出すということに、われわれはもっと関心をいだくべきである。」

 

私なりに解釈すれば、学問研究は、中学・高校の勉強のような効率重視の集中反復の勉強では進まない。一見無駄と思えるような遠回りや、くりかえし起きる挫折の時間を経て、やっと道が見えてくる、そんな長い時間の使い方をする覚悟がなければ、研究はとても前に進まない、ということでしょうか。納得できます。大学の学部生には、多分まだこのことは実感できないでしょう。

 

3つ目の章は「カクテル」。論文を書くときは、一つではなくいろいろなテーマをもて、と書かれています。また、あるテーマで研究する場合に、そのテーマで諸説ある場合には、自分が正しいと思う説のみを取り上げるのではなく、その全ての説を認めて、これを調和折衷させるときに、すぐれた学術論文ができるとも述べられています。これも理解できます。

 

そして、「エディターシップ」、「触媒」、「アナロジー」、「セレンディピティー」の各章が続きます。エディターシップとは、論文を書く時に、自分自身がもっている知識をいかなる組み合わせて、どういう順序に並べるか、を考えること。これは自分が文章を作る時に、パソコンに向かって一度書いた文章を、この部分を前に移そうとか、ここを削ろうかとか、さまざまに校正する過程で必ずでやることです。「文章を書くこと」が即ち「思考すること」なわけですから、思考のエディターシップは誰でも多かれ少なかれ普段からやっているはずのことです。

 

触媒は前に書いた通り。しかし、本書を読みながら、触媒とは何だろうと考えてみると、結局、自分自身の個性が触媒ではないかと思います。自分自身の個性で、さまざまな素材をもとに、時間をかけて(脳の中で)個性的な化学反応が起きるということです。そうなると、先生や友達を含む人との出会いや会話、授業、セミナー、理系の実習や実験、アルバイトや就職活動を含むさまざまな社会経験、多様な読書体験なども全て「素材」の中に入るのかもしれません。たくさんの素材を自分の回りに準備した人のほうが、準備していない人に比べて「化学反応」を起こすには断然有利です。

 

素材の量と質を高め、自分の触媒力(個性)を高めるには、他の(優秀な)人との接触は必須です。私個人の意見では、大学の狭い研究室の中での人間関係に満足しないで、大学にいるうちにいろいろな人(先生・先輩・友人)の話を聞くのが大事だと思います。同じ先生の研究室やゼミにいると、多分1年もすれば先生の個性ややり方が分かります。日本ではまだ難しいのですが、アメリカのように、学部と大学院を別の大学に行く、ということが一般的常識になれば、学生さん本人の中で「化学反応」はもっと大きく進むでしょう。

 

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