名著を読む 『ご冗談でしょう、ファインマンさん』(R.P. ファインマン著、大貫昌子訳、岩波現代文庫)(そのI)
2020年8月27日
本書は、長年、岩波現代文庫のベストセラーに選ばれ続け、今でもランキング上位の常連となっている本で、1965年ノーベル物理学賞受賞者リチャード・ファインマン教授(1918〜1988)の自伝的随筆です。
大学の理系学部に入学した人は誰でも、多分一度はお世話になった思い出があると思われる大学教養課程・基礎専門課程の物理学教科書が、『ファインマン物理学』(全3巻)。原著は1961年から63年にかけて出版され、日本では岩波書店から訳本が全5巻で出版されました。当時の理系専門書としては珍しいA4の大型本で、シンプルで何のデザインもない赤色の厚い表紙と、表紙を開いた最初のページに現れるボンゴドラムをたたくファインマン博士の写真が印象的でした。
私は、大学受験では物理を選択せず、そのため、高校では物理はいい加減な勉強しかしないままで大学に入学し、大学入学後には、理系(生命系)なのに物理的なセンスが全く無くて大いに苦労しました。もう一度自力で物理を勉強するつもりで、大学院でこの『ファインマン物理学』を購入。しかし、数式が少なくわかりやすいと評判のこの教科書でも、結局途中で挫折。教科書は本棚で静かに眠ったままだったのを思い出します。
それから10年か20年か経って、偶然見つけたのが、この『ご冗談でしょう、ファインマンさん』の原著(“Surely You’re Joking, Mr. Feynman!”)でした。英語で読むのは難しいかな、と思ったのですが、読み始めると、生き生きとしたやさしい文章にぐんぐん引き込まれました。そのうち、岩波現代文庫の訳本が出版されたのを知り、それを読むと、原著の雰囲気を残した訳者の文章がとてわかりやすく、内容の理解が進みました。そして、その本(上下2巻)はその後何度か読むうちに、やがて私の愛読書になりました。
「第1章 ふるさとファー・ロッカウエイからMITまで」。ファインマン博士の少年時代。この頃から彼は天才的な能力を発揮するのですが、やはり自由でユーモアたっぷりな性格がたっぷり現れていて面白い。(以下本文引用)
「僕がわが家に『実験室』を作ったのは、たしか11か12になったころだったろうか。実験室といったところで、中に棚をとりつけたただの木の荷箱なのだ。電気コンロもあったから、その上で油を煮たてては、よくポテトフライを作ったものだった。この他に蓄電池や、ランプベースもあった。
さてこのランプベースとは、テンセントストア(雑貨屋)で買ってきた電球のソケットを木の台にねじでとめ、電線のきれっぱしでスイッチにつないだだけのものだった。そのスイッチを並列や直列などのいろいろな組み合わせにすれば、電圧を変えられることは知っていたものの、電球の抵抗が温度によって変わるものだということには、うかつにも気がついていなかった。だから実際の回路の電圧は、僕の計算の結果とは合いはしなかったが、それでも結構楽しめたものだ。電球が直列の組み合わせでうすぼんやりとついているときには、それがぼうーっと光って何とも言えずきれいだった」
自宅に実験室を作って自分で色々実験して遊び、壊れたラジオの修理を得意として近所の評判になり・・・。こんな天才少年が私の小学生時代にも周りにいたような気がします(私も電池やモーターを使った模型作りは大好きでしたが、残念ながら電気の回路のことまでは頭の回らない平凡な子供でした)。本文中にはユダヤ系の家庭に育ったというファインマン博士の人種的な負い目や、運動が苦手という劣等感も時々見え隠れしますが、とにかく自由で活発な発想で、自分の科学の才能を開花させる姿が印象的です。
マサチューセッツ工科大学 (MIT) の学部学生時代、そして「第2章プリンストン時代」のプリンストン大学大学院時代の話は、それぞれの大学の雰囲気がよくわかって興味深い内容です。科学が好きな日本の高校生や大学生がこの部分を読むと、アメリカの大学の姿が垣間見れてとても刺激になると思います。ファインマンさんの大学院のゼミの発表では、かのアインシュタイン博士もファインマンさんの研究に興味をもって、発表を聞きにきたそうです。
第二次世界大戦中はマンハッタン計画に参加し、ロスアラモス国立研究所で研究。世界で初めての原爆実験も経験しました。「第3章ファインマンと原爆と軍隊」では、原子爆弾開発の現場の話なども語られ、我々日本人には特に読む価値のある箇所が多いと思います。自分の研究が大量殺戮兵器の開発につながったことへの科学者の苦悩・葛藤なども書かれています。戦後、コーネル大学教授。その後カリフォルニア工科大学教授。若くしてコーネル大学で教授職についた直後の数年は、教育の準備に追われて研究がお留守になる時期もあったようで、その辺りの様子も正直に書かれています。
1965年量子電磁力学の発展への寄与でノーベル物理学賞受賞。日本の朝永振一郎博士も共同受賞しました。
この本は、科学的な興味でも内容にひかれますが、ファインマン博士のどちらかというと「何でも楽しもう」という奔放な(やや奔放過ぎる?)生き方に魅力を感じる人が多いと思います。訳者のあとがきには次のように書かれています。
「ファインマンと聞いたとたん思い出してもらいたいのは、ノーベル賞をもらったことでもなければ、理論物理学者であったことでもなく、ボンゴドラムでもマンハッタン計画でもない。僕が好奇心いっぱいの男だったということ、それだけだ、と先生はいつも言っておられた。驚異の心をもたない人間は、消えたろうそくも同然だ、と言ったのはアインシュタインだったか。とにかく何かあっと驚き、なぜだろう?と考える心を失わないこと。そしていいかげんな答えでは満足せず、納得がいくまで追求する。わからなければわからないと、正直に認めること。これがファインマン先生の信条でもあり、そっくりそのまま先生の生涯を浮き彫りにしていると思う。」
偉大な物理学者の書いたこの本を、多くの若い人(高校生・大学生)に読んでいただきたいものです。
(つづく)