わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「晩年」 (太宰治著、新潮文庫)

2017年2月9日


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多くの人が中学校の国語教科書で太宰治の作品に出会ったと思います。「走れメロス」です。とても印象に残るストーリーと文章です。そして高校時代に、文学の好きな人は図書館などで再び太宰治に出会った人もいたでしょう。私の場合は、高校時代は現代国語の教科書しか文学への窓口がなく、他の本を読む気分的ゆとりがまるでありませんでした。本当は受験勉強の合間に読書の時間は十分作り出せただろうに、今考えるともったいない時間の過ごし方をしたと思います。
 
大学受験が終わって、受験ストレスから開放されて、真っ先にやりたかったのは自由に本を読むことでした。その頃文庫本で太宰治に再度出会って、多くの青年がそうであるように、この太宰の文章のもつ独特の雰囲気にのめり込み、しばらく抜け出せなくなりました。太宰治は本名津島修治。1909年青森県金木村生まれ。五所川原市の太宰の生家を15年程前に一度訪れたことがありますが、津軽の有力な地主で資産家であった津島家はとても大きくて立派な家でした。内部が公開されていて2階へも上がってみたのですが、窓から見渡せる風景もいかにも津軽らしい風景でした。兄の文治は早稲田大学卒業後、政治家となり衆議院議員参議院議員青森県知事を歴任。一方、弟の太宰治は東大文学部仏文科中退。在学中、マルキシズムの非合法活動に関与するも脱落。カフェの女給と心中事件を起こし、その女性は死亡。その後、流行作家となりますが、1948年、玉川上水で山崎富栄と入水自殺。
 
この「晩年」の巻末にある奥野健男氏の解説が分かりやすいので、その冒頭部分をそのまま引用します。
 
「『晩年』は太宰治の第一創作集である。昭和十一年(1936)6月25日、砂子屋書房より刊行された。なお、太宰治に『晩年』という題名の小説はない。『晩年』は、作品15編を集めた第一創作集に付けられた総題であるのだ。なぜ満二十七歳の青年が、その処女創作集に老人くさい『晩年』などという題名をつけたのか。そこに世の常の文学者と異なる太宰治の特異な文学的出発がある。つまり太宰治は自殺を前提にして、遺書のつもりで小説を書きはじめたのだ。ポーズや擬態ではなく、自分は滅亡の民のひとりだと信じ、せめて自分の一生を書き残したいと懸命に、『晩年』の諸作品を書いたのだ」
 
有名な太宰の作品群の中で、この「晩年」を推薦する人がかなりいます。新潮文庫でも「新潮の100冊」にこの「晩年」が選ばれています。読んでみて一番好きなのは「思い出」という短編です。太宰の幼年時代から中学時代までが素直に書かれていて、好感をおぼえます。そして、兄弟や家族、友達との関係が津軽の風土の描写を背景にのびのびと記録されています。
 
太宰治の作品は第1回芥川賞の受賞候補になりながら、結局死ぬまで太宰の受賞はなりませんでした。最近、芥川賞の選考査員だった佐藤春夫宛に出した芥川賞を懇願する手紙が発見されて話題になりました。また、第153回の芥川賞を受賞した「火花」(私はまだ読んでいません)の又吉直樹さんが熱烈な太宰治ファンであることでも話題になりました。
 
太宰治の作品は、またふらりと読み返すと思います。例えば「津軽」など読み返しながら、もう一度太宰治の生まれた土地を歩いて、ゆっくりスケッチなど出来たら幸せだろうなあと思います。