わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「堀 文子 トスカーナのスケッチ帳」(堀 文子著、JTB パブリッシング)

2016年10月31日


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10月27日~11月9日の2週間は読書週間です。今日のおすすめは、「堀 文子 トスカーナのスケッチ帳」です。堀 文子(ほり ふみこ)さんは1918年東京麹町生まれで現在98歳。現役の日本画家です。70歳でイタリアのトスカーナ地方に移住。5年間一人で生活、その後も77歳でアマゾン、80歳でペルー、81歳でヒマラヤ山麓へ取材。「群れない、慣れない、頼らない」。一人で生きるその力強さ、素晴らしいです。
 
140ページ余りの本を開けると、軽やかなタッチのトスカーナ地方スケッチが、多くの場合見開きで収められています。「ああ、こんなに力をぬいてスケッチしていると、気持ちいいだろうなあ」と感じさせる画面が続きます。鉛筆で自由に線描をして、時に色鉛筆で、時に水彩でさっと彩色してあります。そして所々に日本画に仕上げた本画も挟まれています。

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この人の場合、スケッチもいいのですが、エッセイに味わいがあります。
 
まずはじめの「春」の章。そのまま引用します。

「イタリアの生活を思い立ち、私がアレッツォでの暮らしを始めたのは
緑の麦畑の畦道に猫柳がきな粉色の芽を吹き出した春のはじめであった。
銀色の玉を並べたようなオリーブの丘。
途方もなく広い田園のあちこちに糸杉や笠松がほどよい配置で並び、
樫の木の散り残った枯れ葉が早春の陽に朱く輝き、
野道には白の小花をびっしりつけた名も知らぬ灌木が
雪をかぶったように咲いていた。
この夢見るような美しい田園に私はいっぺんに心を奪われたのであった。」

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「イタリア語しか通じない村に『私』という言葉さえ知らずに住みついての毎日は、ともかく今必要な、名詞、動詞を片っぱしから覚えることであった。覚えては忘れるわが頭の老化を悲しむ暇もない。辞書と首っぴきで、毎日、四つ、五つと新しい言葉を覚えていくのが不思議と苦痛ではなく、未知の世界を知る嬉しさがあり、亡びた細胞が甦って来るような感動の日々であった。」

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このように、トスカーナ地方の美しい景色と人々の生活が春・夏・秋・冬と季節を追ってスケッチと文章で紹介されています。
 
私は今、岡山市の郊外に住み、山や丘、そしてその周りの里山風景を毎日見ながら、スケッチをしています。そして、この岡山の地の里山風景もトスカーナに負けず劣らず美しいと思っています(トスカーナ地方には一度だけ10日ほど行ったことがあります)。イタリアが石の建築美なら日本は木の建築美です。トスカーナと同じように余計な看板や下品な広告の少ない今の岡山の田舎の四季の風景を、できるだけスケッチで残したいと思っています。そしていつか機会があれば、私もイタリアの田舎に住んで、スケッチに没頭してみたいものです。見果てぬ夢ですが、堀 文子さんのように強い意志があれば、いつか実現するかもしれませんね。


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