こんな本読んだことありますか? 「あの人に会いたい」(「NHKあの人に会いたい」刊行委員会編、新潮文庫)
2016年10月18日
文庫本の表紙カバーを飾る懐かしい顔写真の数々。三島由紀夫、植村直己、柳家小さん、宇野千代、淀川長治、三波春夫…………。今はもう会えなくなった故人のNHK映像ファイルから、そのインタビューでの会話を書き起こしたものです。各方面でインパクトの有る仕事を残したそれぞれの出演者の話がどれも数ページ程に短くまとめられていて、とても印象的です。かつてテレビや新聞でよく見聞きした人たちの心に残る話がよみがえってきます。「もっと読みたいな」と思うと終わりが来る。こんな感じで39人。そして、こんな短い会話だけなのに、それぞれの登場人物ひとりひとりが「この人のこの人生すごいな」と読者を魅了する。「人間いつでもその気になれば自分らしさは発揮できる。今からでも遅くない。人と違う自分を表に出して生きなきゃ面白くない」と大いに刺激される1冊です。
私の好きな作家、井伏鱒二(いぶせまずじ)のところを開くと次のようになっています。
井伏鱒二、本名井伏満寿二(いぶしますじ)は、1898年(明治31年)広島県福山市加茂町の室町時代から続く旧家の二男に生まれた。子どもの頃から国木田独歩や冒険小説など本に親しんだ。絵を描くのが好きで、福山中学卒業後は画家になろうと思い、当時新進気鋭の日本画家として京都で活躍していた橋本関雪に弟子入りを志願するが断られてしまう。兄の勸めで早稲田大学文学部に入学。21歳の夏休みに、短編小説「山椒魚」の原型となった「幽閉」を書き上げた。
井伏のまわりには人柄を慕って多くの人が集まった。特に太宰治(だざいおさむ)とは親交が深く、太宰の結婚の時には井伏夫妻が仲人(なこうど)をつとめた。「NHK特集 井伏鱒二の世界」の撮影中に、釣り仲間の作家開高健が荻窪の井伏家を訪ねてきた。開高健は井伏より32歳年下で、井伏作品の愛読者だ。
開高「ちょっと教えていただきたいんですが。これ、ほんとに。私は今、52歳なんですが、井伏さんが52歳の時というと、戦後すぐですね、人生はどうゆうふうに見えたですか」
井伏「その頃は楽しかった。戦争が終わった」
開高「コロッと変わっちゃったから、何もかもがひっくり返って。そうですね、井伏さんの時代の人は、あそこでいっぺん活力与えられましたね」
井伏「別の人間になった」
開高「それはまったくわかります。わたしにはそれがない。はじめからどんでん返しから始まった。だから、52歳でどうしたらいいんでしょうか。しばしば夜更(よふ)けに迷うんです」
井伏「書けばいいんじゃないですか、枚数を」
開高「何でもいいから書くんですか」
井伏「書けばいいんだ」
開高「いろはにほへとでもいいんですか」
井伏「ええ.僕はね、いろはにほへとを書こうと思ったこともあるんですよ。そう言えば。書くのなくってね」
開高「それをちょっと教えていただきたくて」
井伏「書けばいいんだ」
開高「書く気が起こらない。机に向かう気が起こらない」
井伏「それは自重するからでしょ。良心があるから」
開高「ええ、良心というのは大げさですけれど」
井伏「良心なくしたらいい」
開高「とにかく活力がない。書くというのはかなり野蛮なずうずうしさが必要ですから、それが出てこなくて洗練されてエレガントになっちゃって、無気力になります。その時にどうしたらいいんでしょう。生きていく道としては、書くしか私には道がないんですが」
井伏「編集者がね、原稿とりに来ればいい。早く」
開高「岩波さんか」
井伏「早く来ればいいの」
開高「えらい困ったことになってきたな(笑い)」
この井伏鱒二と開高健の会話、小説書きだけではなく、私たち絵を描く人間にも大いに示唆を与えてくれます。とにかく悩む時間があったら、どんどん描けということでしょうね。エレガントに描こうとしないで、毎日どんどん、自分の個性で思うとおりに描く。人が描かない自分らしい絵をどんどん描きたいものです。
井伏鱒二は文章が大変上手いので有名な作家です。この短いインタビュー記事を読んだだけで、井伏鱒二や開高健の作品を新しく読んだり、また前に読んだものは、もう一度読み返したくなります。
「あの人に会いたい」。この1冊で39人分の人生を駆け抜けることができる、これはそんな贅沢な本です。