わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「熊谷守一画文集 ひとりたのしむ」(求龍堂)

2016年3月16日

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まず、本の表紙カバーにある画家の紹介文をみると、次のようになっています。
 
1880年岐阜県に生まれる。裕福ながら複雑に家庭に育ち、のち家の没落にあう。東京美術学校(現東京芸大)西洋画科選科卒業。同級生に青木繁がいた。30代の6年間を郷里でくらし、そのうち二冬を山から切り出した木を川に流す日傭(ひやとい)をして過ごす。上京後、二科会で発表。大変な貧乏暮らしで、風貌から「仙人」と呼ばれ、その画仙的な生きざま、作品、書が、多くの文化人を魅了する。86歳に文化勲章の内定を辞退するなど、ただ自由に自分の時間を楽しむことだけを望んだ生涯だった。1977年、97歳で亡くなる。郷里の岐阜県付知町熊谷守一記念館。池袋自宅跡に熊谷守一美術館がある。


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老年の画家の写真を見ると、髪の毛ぐしゃぐしゃ、あごひげボウボウの独特の風貌です。しかし、この人の絵は、太い輪郭線、単純化されたシンプルな構図と色合いで、見る人をほのぼのとした気持ちにさせてくれます。そして絵がやはりうまいです。


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この人の言葉や文章も、今ではとても有名ですが、「うーん」と納得させられるものばかりです。本を開くと、何ページ目かにいきなり有名な言葉が出てきます。
 
「紙でもキャンバスでも何も描かない白いままがいちばん美しい。」(95歳/1975年)。
 
「景色を見ているでしょう。そうすると、それが裸体になって見えるのです。つまり景色を見ていて、裸体が描けるんです。同じようにまた裸体を見ていて、景色が描けるのです。」(75歳/1955年)
 
そして画家が自宅の庭に掘った池の穴に毎日入り込んで、飽きること無く庭の草花や昆虫を観察したという話は特に有名です。
 
「ここに住むようになったのは、昭和七年で私が五十二歳のときです。それから四十五年この家から動きません。この正面から外へは、この三十年間出たことはないんです。でも八年ぐらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです。」(96歳/1976年)




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こういう話を聞くと、私なんかでも歳をとって自由に歩けなくなって目が見えにくくなった時、この熊谷守一のように庭に降りて地面に顔を近づけて、草や花やアリなどの昆虫の動きを見て過ごしたらいいんだ、と励まされます。そして今でも、天候が悪かったり忙しかったりで自分の好きな野外スケッチに出かけられず気持ちが沈んだ時などには、この熊谷守一の生き様を思い出して、「自分の出来る範囲で描けるものを描けばいいじゃないか」、と自分を慰めます。この本を時々開いて、中の絵を眺めると、「ひとは自分のやり方で自由に絵を楽しめばいいんだ」と教えられます。そういう意味で、この本はいつも自分のそばに置いておきたい本です。巻末に「熊谷守一 もの語り年譜」がありますが、それを読むと画家の生活ぶりがリアルに書かれていて大変面白いです。