わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ロンドン ― 福島 ― 東京 そして 今の日本

2015年7月13日
 
ロンドンへの1週間の旅。留学時代の昔の友だちに35年ぶりに再会して、話のついでに私の水彩画を絵葉書にしたものをお土産として渡しました。
 
一番仲の良かったボブ君。今はマンチェスター大学の教授になっています。彼は日本語も読めて漢字の意味も少しは分かる日本通です。一生懸命に絵の下の日本語の説明文を読んでいました。
 
大学ではあまり芽が出なかったものの就職した製薬会社ファイザー社で「バイアグラ」の開発に成功し一躍世の中の脚光を浴びたハンサムなロイ君。当時インペリアルカレッジで行われた彼の講演会には大きなホールに入りきれないぐらい聴衆が集まったそうです。その彼は私の絵を是非買いたいと言ってくれました。息子さんはイギリスの芸大を卒業して美術関係の仕事をしているのだそうです。
 
研究仲間のピーターさん。冗談がうまい人ですが、私が「ロンドンのテムズ川を描きたい」といったら、「そう言えば、印象派の誰だったかなあ? ほらテムズ川や日の出を描いた人、誰だったかなあ?」。「あのねえ、それモネでしょう?!」「ああそうそう、モネ!モネ!」。あなたケンブリッジ大学の出身だったよね。イギリス人でもこんな人もいるのです。印象派と呼ばれるきっかけを作ったモネの「印象、日の出」は日本では中学生でも知ってますよね。
 
研究の大先輩のオーストラリアのジェーンさん。「あなたの絵は日本のシバタの絵を思いおこさせるわ。とても素敵な絵でしたよ」。柴田和雄先生はもうだいぶ前に亡くなられた私たちの研究分野の大御所です。
 
こんな具合にいろいろな方から好意的な反応を頂きました。岡山の田舎の風景を描いた絵葉書が彼らの目には「日本らしさを表現したもの」と映ったのかもしれません。不思議なものですね。
 
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帰りの飛行機がロシアから海を渡って北海道に入り、東北地方の宮城県上空に差し掛かった時、あの東日本大震災で壊滅的な津波被害を受けた海岸線がはっきりと見えました。飛行機はかなり低空を飛んでいて、天気もよかったせいか、何もかもがくっきり見えます。そのうち飛行機は福島県上空に差し掛かりました。海岸線を目で追うと、確かに福島の原子力発電所らしき白い大きな建物群が見えます。思わずカメラを取り出してシャッターを押しました。事故当時はこの空を高濃度の放射能が拡散していったと思うと、ぞっとしました。空から見る日本海から太平洋までひとまたぎ。こんなに狭い国土なのに、その中にいくつもある原子力発電所。大地震が頻発し、火山の爆発も起きる活動的な日本列島。今も地殻のプレートが不気味に動き続けています。こんな不安定な場所に原発のような怖い施設はあってはならないでしょう。それに発電の結果生じる高放射能のゴミを何万年も地下に「永久」保管すると言うけれど、そんな宇宙的スケールの時間を超えた「完全」「永久」はあり得ない。人間の生み出す技術に「完全」はあり得ないです。そんな見込みのないことをやって,今の政治家は後世の人に責任を持てるのでしょうか。


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科学者が精一杯調べあげて、危ない、止めたほうがいいと真剣に訴えているのに、政治家はそれを聞かない。同じことは今の安保法案でも言えます。憲法学者の多くがこの安保法案は「憲法違反」だと言い、多くの国民が反対しているのに、政府は全く耳をかさない。今の政府は国民が心にもつ不安の声を聞こうとしません。日本の外に出てみると、日本の良さを再認識すると同時に、「平和国家日本」の危うさも感じてしまいます。何となく将来が不安なのです。こんなことを考えているうちに飛行機は羽田に着きました。