わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

絵の具で光を描くのはむずかしい!! (科学の目でみた水彩画)

2015年6月21日

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「光を描く水彩画」などとよく言われます。フランス印象派の油絵画家達は、戸外にイーゼルを持ち出して、点描やはっきりと見える筆のタッチで、光をいっぱいに浴びた風景や人物を描こうとしました。これは当時革命的なことだったようですが、考えてみると、これらの点描や荒い筆のタッチの描き方は、「光の本質」を無意識のうちによく捉えていると思います。光は、実は「光子(こうし)または光量子」とよばれる小さな粒でできていて、それが色々な色(エネルギー)をもち、私達の目の網膜に当たって色として認識されています。私達が例えば目の前の赤い物を見ている時には、赤、橙、黄色、黄緑、緑、青、紫など沢山の種類の光子のうち、赤以外の光子はその物体に吸収され、赤の光子がその物体の表面で反射されて私達の目に入り、脳が赤い色と認識しています。もう一つ例を出すと、森や林の緑色、あれは森や林の木の葉が赤い光子や青い光子を吸収し、吸収されなかった緑色の光子が葉の表面で反射して私達の目に入り、脳によって緑色と認識されます。このように世の中のものは、自分で光を発するもの(ホタルの光や交通信号や蛍光灯の光)以外は、すべて太陽の光子を反射して独特の個性的な色を出しているのです。その証拠に、日が暮れると外は真っ暗になり、何も見えません。そこに何か物があっても、それに太陽からの光子が当たらず、従って光子を反射できないからです。
 
太陽の光は無色透明です。これは赤から始まって紫までのいろいろな光子が全て存在すると結果として透明になるからです。それが「なるほど」と分かるのは、理科の時間にプリズムに光を当てると無色透明なはずの光がいろいろな種類の光(単色といいます)に分解されるのを見た時とか、太陽の光が空気中の水滴に当たって七色の虹が見えて感動した時などです。
 
絵の具と光の色とが違うのは、絵の具は全部の色(色の三原色である赤、青、黄でもいいです)を少しずつ混ぜると次第に灰色になり、最後は黒になります。このように色を混ぜると濁ってくる絵の具と、色を混ぜても透明感が全く無くならない光とは、本質的に性質が違うのです。
 
自然の光が行っている現象、つまり物の形や色を示すこと,を水彩画でいかにして再現するか。これは実は難問なのです。私の水彩画はどちらかといえば淡彩ですが、「なるべく水彩紙のもとの白い色を残して、絵の具も重ねあわせ過ぎないようにする」、「パレットの上で色を混ぜ過ぎて灰色だらけのパレットにならないようにする」、「下書きの鉛筆のカーボンがなるべく残らないように筆ペンを使う」、などの「透明感を出す」努力は、多分無意識のうちに自分で自然の光の作業の真似をしているのだと思います。絵の具で「光を描く」というのは実は本来不可能なことをやろうとする神業(かみわざ)的作業なのかもしれません。印象派の点描の画家達は,光のいろいろな色の粒を油絵の具の点々で表したのです。