わたしの水彩スケッチと読書の旅

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この人はすごい人だ! 水木しげるさん

2015年6月17日

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今日の朝日新聞の記事で「迫る出征 叫びの筆 水木しげるさん 38枚の手記」という記事がありました。


 「『ゲゲゲの鬼太郎』などの作品で知られる漫画家の水木しげるさん(93)が73年前、太平洋戦争への出征直前に書いた手記が見つかった。原稿用紙38枚に書き連ねた文章からは、死の恐怖におののき、哲学や宗教に救いをもとめつつも自分を貫こうとする20歳の青年の姿が立ち上ってくる。」

これが記事の書き出しです。

 

水木しげるさんの出身地 境港にはつい先月、隠岐の島に行く時に立ち寄ったばかりです。境港市のメインロードである「水木しげるロード」には妖怪オブジェが並んでいて、観光客を楽しませています。その中に水木しげるさんの上半身の像があり、「なまけものになりなさい」と大きく書かれていて笑いました。

 
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水木しげるさんについては、朝の連続テレビ小説ゲゲゲの女房」や水木しげるさんを取り扱ったドクメンタリー番組などで、その人物像はよく知られています。戦時中は陸軍二等兵。毎日上官に殴られる辛い軍隊生活。そして南方に送られ、ラバウルの激戦で左腕を失っています。戦いの中、ジャングルの中をさまよう中で何とか生き延び、その間現地の人たちと交流するなど,いつも死と隣り合わせなのに、自分の生き方を貫かれたのが印象的です。

 

水木さんの実家(武良さん)は境港の港に面した場所に建っていて、その地域に昔からあるかなり大きな家だったそうです。実は私の父親(5年前に死去)は水木さんより2,3歳若く、戦争当時は陸軍少尉でしたが、派遣先の広島で被爆してそのまま終戦を迎え、その後境港の水産会社で働き始めました。その時に、当時無名だった水木さんに会ったことがあるそうです。いつも実家の部屋で絵を描いていて、怠け者で、何だか変わった人だった、というのが父から聞いた話でした。それで私も何となく水木さんに親しみを憶えます。

 

再び朝日新聞の記事に戻ります。

 「『知り合いが次々に戦死するなかで、旗を振って見送られるのを想像すると、何か書いていなければ不安におしつぶされそうだった』と振り返った。

 その上で、こう話した。『お国のためにという言葉のもとに、まともに物を考えることを封じられていた時代だったからね』

 入隊時には『ゲーテとの対話』全3巻とデッサン用の紙と鉛筆をしのばせて赴いたという。

 『殴られても、低能と言われても、自分の頭で考えることだけは、やめなかった』」

 

記事のこの部分を読んで、ガーンと金槌で頭を殴られたようなショックを受けました。な、な、なんと、戦場に持っていったのがあのエッカーマン著の「ゲーテとの対話」全3巻ですか!! 参りました!! 私もかなり最近(数年前)この3巻を読みましたが、とにかく難解です。正直何も頭に残っていません、デッサン用の紙と鉛筆は分かるとしても、この「ゲーテとの対話」という哲学書を戦場に持っていったことに敬服します。すごい人ですね。テレビで見てると何だかとぼけた人に見えるのに、実はすごい。漫画の描写力も凄すぎるんですけどね。それで「なまけものなりなさい」ですか。すごい人ですね。気合が入っていますね。まじめに怠け者になるのは実は難しいんですよね。



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