わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

桜の思い出

2022年3月31日

 

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岡山市は昨日桜が満開となった。今朝の散歩道では小雨の中に満開の桜が煙るように咲いていた。

 

私にとって桜の花の思い出は7歳の小学校入学の時だ。当時住んでいた鳥取市の久松(きゅうしょう)小学校へ入学する日は、正門の横に何本も植えられた桜の木が満開だった。母親に連れられて正門に近づくと、古い木造校舎の2階の教室の窓から隣家の2年生のトシオ君が私の名を大きな声で呼んで手を振ってくれるのが見えた。私はうれしさと恥ずかしさで、小さく手を振って答えて、下を向いたまま正門をくぐった。広い正面玄関には大きな靴箱が並び、そこに靴を入れて、買ってもらったばかりの真っ白なうわばきに履き替えて教室に入った。

 

自宅の古い社宅から小学校までは歩いて片道30分以上かかった。鳥取城のお堀端の道は戦後間もない頃で未舗装のでこぼこ道だったが、静かな気持ちのいい道だっった。時々進駐軍ジープが土埃をあげて通り過ぎた。同じ道を鳥取西高校や鳥取北中学の生徒さんが通学するので、自分よりずっと年上のお兄さんやお姉さんをいつも尊敬の眼差しで見ていた。

 

1年生の担任は山田先生という女性の先生だった。子供の目から見たので正確ではないが、30〜40歳代だとおもわれた。小学校1年の同級生の名前は今でも6人はフルネーム(名字と名前)で覚えている。そのうち4人は女の子だ。そのうちの2人とは近所のピアノの先生のところに一緒に通った。しかし、私はピアノをあまり好きになれず、子供のバイエルを1年やっただけでやめてしまった。絵が好きだったので、絵を習いに行かせてもらいたかったのだが、それはかなわなかった。我が家にそんな経済的ゆとりはなかっただろうし、当時田舎の町で絵を教える先生もいなかったのだと思う。山田先生は私をたいそう可愛がってくださった。音楽の時間には私にピアノの伴奏をさせてくださった。遠足で行った鳥取砂丘の思い出を描いた絵は先生の目にとまり、校長室に1枚だけしばらく貼られていた。そんな愛情たっぷりの教育を受け、クラスメートにも恵まれ、幸せな小学校生活のスタートだった。私は小学校3年の2学期までこの小学校に通い、その後は父親の転勤で島根県松江市の小学校に移った。

 

その後、何十年ぶりかで桜の季節に鳥取市に行った。もうその時には小学校の古い木造校舎は鉄筋コンクリートの校舎に建て変わり、懐かしい桜の木もそこには無かった。そのかわり、小学校の前の鳥取城のお堀端と鳥取城址公園の桜が見事だった。小学校に通う小さな子どもたちがランドセルを背負ってお堀端の道を友達と一緒に歩いていた。声をかけようかと思ったがかけなかった。子供の頃の思い出や同級生の顔が浮かび、懐かしさがこみあげていた。