わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

この街の 静けさ 素朴さ 懐かしさ (鳥取県鳥取市 鳥取久松(きゅうしょう)公園)

2018年5月


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鳥取市に来ました。JR岡山駅9:14発の特急スーパーいなば3号に乗り、JR山陽本線智頭急行線、そしてJR因美線経由で11:04に鳥取着。この路線は陰陽連絡(山陰と山陽を結ぶ)線なのですが、伯備線など他の陰陽連絡線と較べて山深い山間部を走るような感じがあまりありません。昔の因幡(いなば)街道沿いに開けた町並みを車窓から眺めながら走る田園ルートです。ちょうど沿線は田植えのシーズンでした。岡山―鳥取間は2時間弱の旅です。
 
久しぶりに来た鳥取市JR鳥取駅が改修され、きれいになっていました。まず昼食を取ろうと駅近くの地魚の味が評判の店に直行。定食1,300円。若干高めですが、なるほど噂通りでした。出てきた煮魚の味が素晴らしい。鳥取には賀露(かろ)漁港があり、そこから新鮮な日本海の魚が水揚げされます。


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食堂を出て駅前の通りを真っ直ぐ20分ほど歩いて鳥取城址のある久松公園へ向かいました。大通りなのに人が歩いていません。静かです。この辺りは鳥取県庁、県立鳥取西高校、市立久松(きゅうしょう)小学校、市立北中学校などがならぶ鳥取市の行政の中心そして文京地区です。私は父の仕事の関係で1歳の時にこの鳥取市に引っ越し、小学校3年の2学期まで住んでいました。生まれたのは松江市ですが、実際上私にはこの鳥取市が自分の故郷のように思われます。私が住んでいたのはこの地区から更に1キロメートルほど北西方向に行った湯所町という所。父の勤めていた水産会社の古い小さな2軒続きの木造2階建ての社宅の1階に父母妹と4人家族で住んでいました。


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通った幼稚園はこれもこの地区にあった「小さき花園幼稚園」。県立の久松幼稚園もその近くにあったのですが、私は運悪く入園試験に落ちてしまい、「小さき花園幼稚園」に入りました。言ってみれば人生の最初からつまずいた訳です(つまずきはその後もいろいろと続くのですが・・・)。この幼稚園はカトリックの幼稚園でした。そして、この幼稚園は私にとってはまさしく「小さな花園」でした。毎月幼稚園からもらう園児向けの絵本、キンダーブック(実際にはもちろん親が本代を払っていましたが)の中の小川未明(おがわみめい)の童話と画面一杯に描かれた絵に心を奪われました。小川未明新潟県の出身なので、同じ日本海側の鳥取と風土的に似た所があるのでしょう(どちらにも砂丘があります)。そして入学した小学校は市立久松小学校。校舎の周りの桜が満開の4月に木造2階建ての古い校舎に通い始めました。得意科目は図画。苦手科目は体育でした。1年生の担任はY先生。2年生の担任はK先生。両先生とも女の先生で、私が小さくて大人しかったせいか、私のことをとても可愛がってくださり、正月には他の女子生徒と数人で(男子は私だけ)家に呼んでくださったりしました。
 
今日は鳥取城址久松公園)の高い場所に登って、そこから下に見える仁風閣(明治建築で国の重要文化財)、左手の県庁の大きな建物、正面の久松小学校の現在の校舎と、かつて私が通った鳥取城のお堀沿いの通学路を描きました。小学校に通っていたのは昭和30年代のはじめ頃です。道路は未舗装で、雨の多い鳥取では雨が降るとあちこちに水たまりができました。晴れた日には、時々米軍(進駐軍)のジープやサイドカー付きのオートバイが砂ぼこりを巻き上げながら走り、子供たちは道路端でポカンと口を空けてそれを見送りました。終戦後で日本中が貧しかったのですが、田舎の鳥取市でも「もうこれからは戦争はない」と大人も子供も平和の気分であふれていました。まさかその通学路を60年後の自分が絵に描くなんて、小学生だった当時は全く想像すらしていませんでした。


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気温は20℃。石のベンチに座り、イーゼルを低く立てて快適な気分でスケッチができました。日曜日なので、男子小学生が5,6人やってきて、近くの草原にビニールシートを敷いて仲良くお菓子を食べ始めました。「君たちどこの小学校?」と声をかけたら、「久松です!」と元気な返事がかえってきました。5年生でした。「わあーそうなんだ! おじさんも久松だよ。60年前だけどね」と言うと、「大先輩ですね」と返事。私の絵を見て「すごい」とほめてくれました。やはり素直に嬉しいです。
 
60年前の小学校の2年の冬には、この通学路を歩いている私の写真がある週刊誌のグラビアに載ったことがありました。白黒写真の見開き2ページでしたが、週刊誌のグラビアに載ったのは後にも先にもこれ一度きりです。松江に住んでいた叔父がたまたま見つけて送ってくれました。冬で当時の鳥取城のお堀は枯れた蓮の茎で覆われていました。そのお堀端の道を、母の手作りのズボンのポケットに両手を突っ込んでランドセルを背負って寒そうに背を屈めて下を向きながら下校する小学校2年生の私が一人写っていました。確か「古城」とタイトルを付けられた1枚だったと思います。いかにも淋しそうな風景で、週刊誌を見せられた時、正直あまり嬉しくなかったのを憶えています。


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60年前をなつかしく思い出しながらのスケッチを終え、公園の入口まで下りて来ると、鳥取市が生んだ作曲家岡野貞一(おかのていいち)の文部省唱歌「ふるさと」が流れていました。「兎追いしかの山、小ブナ釣りしかの川」です。その「ふるさと」を英語でグレッグ・アーウィンが歌っていました。とてもいい歌声で、立ち止まってつい2度聞いてしまいました。岡野貞一は久松小学校の卒業生で、東京芸大の教授を務めた人です。そう言えば今日のお昼頃、鳥取県庁付近を歩いていて流れてきた正午を告げる時報チャイムも「ふるさと」でした。ここ鳥取は私の心のふるさとです。



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ラングトン水彩紙 中目 F6 見開き
青墨筆ペン
シュミンケ固形水彩絵具
所要時間:2時間30