わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 『彼女は頭が悪いから』(姫野カオルコ著、文春文庫)

2021年7月25日

 

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東大生5人による強制ワイセツ事件を取り上げて、事件の全貌と、事件を生んだ現代日本社会の陰の部分を、鋭い筆致で描き切った作品です。事件の本質を捉え、関わった一人ひとりの状況や家族の状況をよくここまでていねいに描けたものだと感心しました。少し前に読んだ『昭和の犬』とはまた全く異なるテーマと作風。書きたい現代的なテーマに正面から挑戦する作者の意欲がすごいです。

 

本書のテーマは、東大を頂点とする学歴(学力・偏差値)偏重の世間の価値観と、それに(無抵抗に)飲み込まれる若者たちの姿です。現代の大学キャンパスとキャンパス外での男女(学生)のグループと個人の交際の問題が、東京という都会の独特の雰囲気の中で描かれます。若者とは、具体的には東大のサークルで活動する東大男子学生数人と、都内や周辺の女子大生です。強制ワイセツ事件の起きた状況を、関係者の家庭環境から描きはじめ、事件の詳細を読者に示します。しかし、それによって作者は読者を具体的な結論に誘くわけではありません。この事件に対する最終判断は読者自身に任せています。問題提起はストレートでインパクトがあります。

 

問題の一つである学歴(学力)偏重問題は、日本だけでなく他のどの国にもあります。お隣の韓国や中国では日本以上かもしれません。小学校から高校までの12年間、本人の意欲と能力とその人が生活した環境(親の経済力と子育ての意欲を含めて)でいわゆる「学歴(入学歴・卒業歴)」が決まります。日本にいる限りは、その社会の価値観に従ってトップ大学に合格することを目指すのは自然なことかもしれません。そして、これが日本の社会の中で様々な差別を呼び、格差を生んでいるのは確かです。日本では他の要因も重なって、富める人たちとそうでない人たちとの経済格差は年々広がりつつある。そして男女差別は歴然としてあり、それが解消する見込みは当分ありません。

 

しかし、日本では社会が少しずつですが多様な価値観を認める方向に変化しているのも確かです。親の仕事の関係で子どもの頃から海外に出る子どもや、海外の大学に進学する高校生も増えています。大学でも留学生が少しずつですが増えています。日本から海外に留学する若者が増え(最近は以前より減っているのが問題視されています)、海外から日本に来る若者が新しい価値観を生み出してくれれば、全体として日本にいる若者の多様性が増し、東大NO.1というような固定的な価値観もやがてゆるんでくるのではと、希望的に思います。

 

そして人生は、大学に入学してからの15年(18歳から35歳ぐらいまで)で、また大きく変化してきます。この時期のすごし方で、学歴以上のものがその人に付加されます(それ以下になることもままあります)。この時期、今まで住んでいた日本を一度離れてみるのはとても大事なことです。短期間でも日本人のいない所で暮らすと、人生観がガラリと変わります。アメリカでもイギリスでもヨーロッパでも他の地域でも、東大(University of Tokyo)を知らない人がほとんどです。そこでは日本の学歴は通用せず、自分の個性で、自分のそれまで育ててきた能力と体力を頼りに生きていくしかない。それが自信になって、帰国後どんな場所でどんな状況でも、「生きていくぞ!」と気合が入ります。

 

そして定年をすぎた高齢者になっても、まだまだ頑張れる。自分の専門や得意分野を離れて様々な本を読み、地域の人と話す。若い頃以上に勉強する。学んだことを発信する。若い頃は学歴偏重社会の中で「自分が、自分が」と思って生きていたのに、やがて「人のために」と思うようになる。もう先が短いせいかもしれませんが、その変化が不思議です。

 

本書で書かれた東大生の事件の加害者も被害者も、とても若い人たちです。いくらでもやり直しがききます。他人を認める、いろいろな人がいるのを認める、社会のひずみを認めてその解消を考える、「自分が、自分が」の世界からいつか抜け出す。そんな再出発をしてほしいと思いました。