わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

アイスクリームの思い出

2021年7月20日

 

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暑い夏が来ました。こんだけ暑いと冷たいアイスクリーム ice creamが食べたくなります。

 

私の子ども時代、昭和20年代後半は、戦後すぐの頃なので、アイスクリームなどはまだありませんでした。昭和30年になって小学校にあがる頃に、アイスボンボンという氷菓子が出ました。おじさんが自転車の荷台に氷水を入れた箱を乗せて売り歩いていました。細長い色のついたゴム風船のような物の中に甘い凍らせた液体が入っていて、それを手で溶かしながらちびりちびり飲むものです。アイスキャンデーも出ましたが、砂糖がまだ高価で、サッカリンという人工甘味料が使われていました(その後サッカリンは使用禁止に)。アイスボンボンもアイスキャンデーも衛生上の心配から我が家では全く買ってもらえず、友達が食べているのをうらやましく眺めていました。

 

ラクトアイスが出始めたのは昭和30年代なかばだと思います。銀紙で包まれた名糖のアイスバー(ホームランバー1本10円)を時々買ってもらいました。バーに「ホームラン」の字が印字してあると、もう1本ただで貰えました。ある日、小学校(転校した国立大学付属小学校)の友達の家に遊びに行ったら、その友達のお父さんが森永に勤めていて(立派な家の裕福な家庭でした)、仕事が終わってたまたま家族用に持って帰ったアイスクリームを食べさせてもらいました。当時は珍しい3色のアイスクリームで、箱に入ったものを切り分けてもらいました。これが本格的なアイスクリームとの最初の出会い。これがラクトアイスだったのか、それとも本物のアイスクリームだったのかは分かりませんが、それまで味わったことのない特別な味でした。

 

中学(田舎の中学に転校)に行くと、友達と自転車でかなり遠い海岸まで泳ぎに(泳ぐ練習に)行き、その帰りにいつもあずきアイスキャンデーを買って食べました。これも5円か10円だったと思います。泳ぎに行くときは母親がわずかに小遣いをもたせてくれました。

 

一番驚いたアイスクリームとの出会いは、20歳代後半にはじめてアメリオハイオ州に長期滞在した時でした。はじめての海外生活。アパートに落ち着いて、さて近くのスーパーで買物をと思って歩いて出かけると、レディーボーデンの大カップのアイスクリームを売っていました(日本で売っているようなミニカップはありませんでした)。500mlか1000mlかはよくおぼえていませんが、とにかく見たこともないような大きなアイスクリームのカップがわずか1ドル。大喜びで買って帰って一人で膝に抱えて腹いっぱい食べました。肉でもステーキ用の大きな肉しか売ってなくて、それに塩コショウをしてフライパンで焼いて食べるしかない。アメリカって何とも大ざっぱな、しかしダイナミックな国だなあと思ったのをおぼえています(これが続くとさすがに嫌になりますけどね)。私の住んでいた町には牧場があって、そこで自家製のアイスクリームを売っていました。そこにも時々食べに行きました。それからしばらくすると、アメリカではフローズンヨーグルト frozen yogurtが流行りました。これはなぜか日本ではあまり広がらなかったと思います。

 

時代が進み、日本では都会でも地方でもアイスクリーム専門店が沢山できて、店頭でコーンに好きなアイスクリームをスクープscoop (アイスクリームを丸くすくう道具)で載せてもらうようなスタイルの店が増えました。今住んでいるところは田舎ですが、牧場があってアイスクリームを作って売っています。昔食べたレディーボーデンや、今どこのコンビニでも売っているハーゲンダッツに負けないおいしさです。