わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ノートを買いに

2021年6月22日

 

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いつの頃からか新聞の切り抜きをするようになり、大学ノートのスクラップブックが10冊以上になりました。何でもかんでも気になる記事を全て切り抜いているわけではなく、残すか捨てるかかなり迷った挙げ句に、残すと決めたものをハサミで切り抜いてピット糊でノートに貼ります。月初めの日曜日の朝に地域の老人会が古新聞の回収をしてくれるので、それに間に合うように毎週末は新聞切り貼り作業が忙しくなります。

 

時々この大学ノートを開いて、切り貼りした記事を読み返すと、時代の流れや自分の興味の変遷が追えて興味深いです。読書欄(本の紹介)や料理の記事は切り抜きの常連。自分の傾向としては、人の生き方について書かれた記事にひかれるようです。

 

今年の2月で連載が休止となった朝日新聞のコラム『折々のことば』(鷲田清一)。連載が始まったころはそれほど切り貼りすることは多くなかったのですが、次第に記事に魅了され、切り抜きが増えました。

 

2021年9月16日の『折々のことば』

「そうした売る気ゼロの岩波文庫が中学生の僕にはたまらなくかっこよく見えた」(都甲幸治)

 

鷲田さんの解説。

「中学生の頃、多摩に住んでいた米文学者は、学校の帰りによく吉祥寺の書店に立ち寄った。岩波文庫の棚はなんだか「暗かった」。裸本に帯を巻き、それを透明なグラシン紙で被(おお)った地味な装丁。いつか被い紙も茶色くなって、誰のどの本かわからなくなる。購買欲を煽(あお)るようなことは慎むその半時代的な『ピンぼけ』の風情が懐かしいと言う。『「街小説」読みくらべ』から」

 

そう言えば、私も中・高校生の頃、同じような思いで岩波文庫を眺めていました。読書や作家に関する鷲田さんの記事はほとんど切り抜いています。

 

最近は日本の貧困問題や日本の将来が気がかりで(年のせいでしょうね)、その関係で2020年10月5日の『折々のことば』には強い共感をおぼえました。

 

 

「これほど豊かになって、これほどしあわせにならなかった国はめずらしい」(池内紀(おさむ))

 

鷲田さんの解説。

「この独文学者は、郷里近くの兵庫県福崎町でおこなった公演をこう結んだと、聴衆の一人だった詩人の時里二郎は回想する。人々が豊かさを求め、『儲(もう)ける』ことを最優先することで逆に失ってしまった『大切なもの』。その喪失、その忘却から池内は最後まで目をそらすことがなかったと、時里は『池内紀さんの戦後二十年』(季村敏夫個人誌『河口から』VI号所収)の中で言う。」

 

国際的にみても驚くほど低い日本人の幸福度。自死する若者(特に女性)が急増するコロナ禍の日本。オリンピック開催さわぎの中で、このような問題から目をそらさないでいきたいと思っています。

 

今日は、新しくスクラップブックに使うノートを買いに近くのスーパーに行きました。『折々のことば』の鷲田清一さんのなるべ早い回復とコラムの復活を祈りつつ。