こんな本読んだことありますか? 『宮沢賢治全集 I「春と修羅」、「春と修羅」補遺、「春と修羅 第二集」』(ちくま文庫)
2021年2月11日
宮沢賢治の詩集「春と修羅」の一部を読みました。これを読もうとしたきっかけは、朝日新聞の鷲田清一さんの連載コラム「折々のことば」を読んだからです(以下朝日新聞2021年1月26日版より引用)。
「うまれてくるたて
こんどはこたにわりやのごとばかりで
くるしまなあよにうまれてくる
こんど生まれてくるとしたら、自分のことばかりで苦しまないように生まれたいと、若くして逝く妹が兄・賢治に訴える。病とその痛みや苦しみは、人の思いを我が身へと押し込める。あの人のことを案じ、その人のために祈り、この人の支えになりたいという切なる願いを、潰(つい)えさせてしまう。詩『永訣(えいけつ)の朝』(詩集『春と修羅』所収)から」
宮沢賢治は1896年(明治29年)岩手県花巻市生まれ。県立盛岡中学、盛岡高等農林卒。37歳で没するまで詩・童話の創作と農業指導に献身しました。詩集『春と修羅』を1924年(大正13年)に出版。生前の数少ない出版物の一つです。賢治の没後に、彼の作品への評価が高まり、数多くの詩集・童話が出版されました。私の小学校時代の思い出の中にも賢治の『風の又三郎』の映画のシーンや教室で習った『雨ニモマケズ』の詩があります。『永訣の朝』の詩は、中学校の国語の教科書で習い、当時やはりインパクトがありました。
「永訣の朝
けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもいうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゆんさい)のもようのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまえがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
(あめゆじゆとてちてけんじや)
・・・・・
・・・・・
(以下 略)」
宮沢賢治の『春と修羅』は第三集までつづく膨大な詩集です。毎日、日記のように詩を書き続ける賢治のエネルギーと湧き出る詩の数々に、ただただ驚き圧倒されます。冒頭の詩『屈折率』から、この『永訣の朝』までたどり着くまでにも相当のページがあります。これだけ読む間にも、賢治の生きた当時の岩手と時代の雰囲気に十分浸ることができます。
ところで、朝日新聞の鷲田清一さんのコラム連載が最近ストップしていて、とても寂しく思います。お体の調子がお悪いのでしょうか。早く復帰されることを祈っています。