わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ビワを収穫しました

2021年6月12日

 

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今日の午後から2、3日雨が続きそうなので、午前中にビワの実を全て収穫しました。これまでも時々収穫して食後に食べたり、近所に差し上げたりしていましたが、もうかなり熟れて糖度が高くなったので、これ以上置いておけないと思い収穫しました。びわの木は大きく根を張って家を傾かせるので庭に植えてはいけないと昔から言われているようですが、我が家はそんなのお構いなしで苗を買ってきて庭に定植。その結果、今では相当大きな木になりました。これ以上大きくなるとやはりちょっと心配なので、梅雨があけたら植木屋さんに頼んで剪定してもらうつもりです。しかし、ビワの木は本当に世話のいらない果樹です。

 

ビワの木というと、私が4、5際の頃(昭和20年代後半)、当時住んでいた鳥取市湯所町の家の裏庭にあったビワの木を思いだします。父の会社勤めの関係で小さな古い木造2階建ての2軒長屋の社宅に住んでいたのですが、裏の畑が結構広くて、父が中心になって野菜や花を育てていました。父は園芸が大好きな人で、全て自力で畑を整備。戦後すぐの食糧難の時代だったので、野菜は近所の人と一緒に自給できるようにしていたのだと思います。当時コメは配給制で、配給通帳を米屋さんに持っていってコメをもらっていました。その裏の畑の一番奥のすみに大きなビワの木があって、初夏に実が実りました。しかし、なぜかその頃ビワの実を取って食べたという記憶がありません。隣家の庭とのはっきりとした境がなかったので、ひょっとしたら隣の家の木だったのかもしれません。

 

そのビワの木の横を通り抜けるとすぐ向こうに幅が1mほどの小川が流れていました。当時は小さな魚があちこちすばしこく泳いでいて、私や近所の子供達は川に入ってその魚をすくうのに夢中になりました。小さな魚はよく土管(多分各家庭の雨水や生活排水管)の中に逃げ込むので、それを捕まえようと必死になりました。運良く捕まえた小さな魚の放つ川魚臭い匂いが忘れられません。その小川の向こうにはやっと人が行き違えるぐらいの細い道と、その道に面して建つひと並びの住宅を隔てて、久松山(きゅうしょうざん:鳥取城のある山)が迫っていました。湯所町というのは久松山の山裾に開けた静かな町でした。カエルやヘビやカラスなどの鳥やその他の多くの昆虫の他に、目立った動物はいませんでしたが、私にとってはまさに「兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川」の歌そのままの場所でした(この「ふるさと」を作曲した岡野貞一は鳥取市の出身です)。戦後すぐの鳥取大火で鳥取市街だけでなく久松山の松林も大きく焼失してしまっていたので、その山の姿を元に戻そうと、当時は盛んに松の植林が行われていました。友達と山に入って、間違って植えられたばかりの松の苗をひきぬいてしまい、植林の若い人に叱られた記憶があります。

 

そんな思い出があったせいか、30年前に家を買った時に狭い庭にビワの木の苗を植えました。その後、木はどんどん成長し実をつけ始めました。剪定のぐあいなのか、実がよくなる年とならない年があります。今年は大豊作でした。しかし、今年は小鳥がまったくビワを食べに来ませんでした。これがちょっと不思議です。いつもだとヒヨドリが決まってビワを食べてしまい、半分欠けたような実がたくさん見られるのですが、今年は全く鳥の害なし。それはそれで寂しいし、ちょっと不安です。何か環境異変(地球温暖化など)の影響でなければいいのですが。今日は大きな実を4つ5つ、小鳥のために残しておきました。