わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

テレビの思い出

2021年5月24日

 

f:id:yaswatercolor:20210524211039j:plain

もうすぐアジサイの季節


 昨日新しいテレビを買ったことを書いたので、今日はテレビの思い出について書いてみます。

 

私がテレビというものを初めて目にしたのは、昭和32年(1957年)。ちょうど小学校3年の時で、当時島根県松江市に住んでいて、繁華街の街頭テレビで力道山のプロレス中継を見た時でした。力道山の空手チョップが炸裂していました。2年後の昭和34年(1959年)4月には当時の皇太子殿下と美智子妃殿下のご成婚の特別番組があり、この時一気にテレビが一般家庭に普及し始めました。わが家にはテレビが無かったので、同級生の家に呼ばれてご成婚パレードを見せてもらったのをおぼえています。大相撲の中継もテレビでしていて、それも時々別の友だちの家で見ました。栃錦若乃花の時代から大鵬柏戸の時代に移りつつありました。当時はまだテレビは高価でした。私が通っていた小学校は地元の国立大学教育学部附属小学校で、クラスには地元の銀行家、医者、裁判官、弁護士、商店主などの裕福な家庭の子供が多くいました。うちは中流のサラリーマン家庭だったので、まだテレビを買う余裕がありませんでした。この小学校に通った3年間で、子供ながらに世の中にハッキリとした「経済格差」というものがあることを知りました。

 

中学生になると同時に父親の転勤で鳥取県米子市に引っ越し。もうテレビは値段が下がって一般家庭にかなり普及していましたが、相変わらずわが家にテレビは無く、中学3年になってやっと小さなテレビが来ました。その頃見た番組で覚えているのは藤田まことの「てなもんや三度笠」と江戸家猫八、一龍斎貞鳳などの「お笑い三人組」です。

 

すぐに翌年には高校生になり、受験勉強でテレビは見ない(見たくても見れない)生活に。3年間の高校生活が終わって、無事大学へ進むと、下宿生活は家からのわずかの仕送りだけで質素でした。勿論テレビは無し。大学の3年になると専門課程で勉強が忙しくなり、自分で言うのも何ですが、ひたすら実験と勉強の日々でした。当然テレビ無し。大学を卒業して大学院へ。それと同時に家からの仕送りが無くなり、奨学金と家庭教師のアルバイトだけの生活はあいかわらず極めて質素でした。毎週土曜日の午後1時半から6時まで中学3年生の男子の家庭教師をしていた時には、時々夕食を食べさせてもらえたのですが、その時には食卓そばのテレビにはドリフターズの「8時だヨ!全員集合」がいつも映っていました。ちょうど志村けんがデビューした頃でした。大学院を経て27歳で大学の研究職に就職。その頃もひたすら実験と勉強の日々でテレビ無し。その後結婚してテレビは買ったのですが、仕事が忙しくて見る時間がほとんどありませんでした。こんな調子で、あれよあれよと言う間に65歳の定年。退職して初めてゆっくりテレビを見る時間ができました。

 

この歳になってテレビは面白いなと思います。よく見るのは朝昼晩のニュースとTBSの「ひるおび!」、「サンデーモーニング」などの報道番組、NHK Eテレの「日曜美術館」、NHK BSの「岩合光昭の世界ネコ歩き」、NHKの「NHKのどじまん」。最近NHK プラスが視聴できるようになってからは、旅番組やドキュメンタリー、料理番組などをパソコンで楽しんで見ています。

 

しかし時代はテレビからインターネットへ。まさにその通りです。今度テレビを新しく買ったのですが、実際のところテレビの時代はそのうち終わるのかもしれませんね。インターネットがこんなにも便利ですから。今やニュースも報道番組もビデオも、一人でパソコンやスマホで鮮明な画像で楽しめる時代です。