わたしの水彩スケッチと読書の旅

知の冒険? いえいえ、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 『空をみてますか・・・9 なつかしい街と人と』(池辺晋一郎著、新日本出版社)

2020年9月4日

 

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著者の池辺晋一郎さんは日本の著名な作曲家の一人。NHKの日曜夜9時のEテレ音楽番組「N響アワー」に長くレギュラー出演しておられたので、お顔と話しぶりはよく覚えています。その池辺さんが書いたエッセイ。もうこれが9冊目だそうです。この第9巻は400ページを超す厚さですが、中身はとても軽快で読みやすい。短いエッセイが詰まっていて、まるで音楽を聴いているような楽しい気分で読めます。

 

本書には、1993年にスタートした週刊「うたごえ新聞」の連載エッセイの、2006年1月から2009年の1月まで3年分が収められています。私は朝、起床後の30分ほどの時間を使ってこの本を読んだのですが、毎朝、本につい手が伸びるくらい、なかなか魅力的な内容です。

 

驚くのは、著者の交友関係の広さとその人脈からくる仕事の幅です。もちろん交友はほとんど音楽分野がベースなのですが、そこからどんどん他の世界へ広がっていく。本当に羨ましい交流の広がりです。

 

そして仲間が多いだけ、仲間との別れも多い。「彼は急逝。無念である。」、「◯◯さん逝去。悲しい。」、「◯◯君の急逝に、愕然(がくぜん)。」というような文章があちらこちらに。やっぱり、親友や、影響を受けた仲間との別れは辛いですね。

 

話題は音楽のことばかりではなく、今の政治的・社会的状況にも及びます。自分の意見をはっきりと述べているのが素晴らしい。戦争反対、核兵器反対、憲法9条堅持・・・と、とても力強いメッセージが文章に込められています。音楽活動を通して、社会に自分の信念を伝えたいという気持ちが現れています。

 

池辺さんは1943年水戸市生まれ。戦中の生まれですが、少年時代や青年期はちょうど戦後の我が国の経済復興期に当たります。1967年東京芸大卒業。いったいどんな家庭環境で、どういう教育を受けて、こんな人が生まれたんだろう、とそのいきさつに興味を覚えますが、エッセイのところどころに少年時代や学生時代の思い出話が書かれていて、それがとても面白いです。例えば「下北沢 その3」では次のように書かれています。

 

「ところで、中学生になった時に、僕は水戸からここ世田谷の北沢へ引っ越したわけだ。しかし、両親にとっては越したのではなく、戻ったのである。疎開が長引き、戦後10年以上も母の郷里である水戸に居座ってしまったのは、復員後の父の病のせいもあった。やがて父は癒(い)えたが、東京へ単身赴任。どうせなら僕の小学校卒業までそのままで、ということになったのだろう。だから僕は転校の経験はない。小学生の妹にはある、ということになった。

 

 僕は、世田谷区立北沢中学校へ入る。ここは、二つの小学校の区域の全部と、別な二つの小学校区域の半分から集まってくる。その中で、僕は外様(とざま)だ。どの区域とも違う茨城県からやってきたのだから。

 なのに、入学式のその日から、全く違和感を抱かなかった。たちまち、周囲に溶け込んだ。それどころか、今もつづく真野洋平との『親友の始まり』は、その日だったのだ。

 間もなく、というのは、たぶん五月くらいだったろう。新築の講堂兼体育館の『ピアノ開き』があった。有名なピアニスト(誰だったか、忘れちゃったな・・・)が来校し、新しいピアノの『弾き初(ぞ)め』をする。その『前座』を僕がやらされたのだ。外様の僕が。

 だから、本当の『弾き初め』は僕だったわけ。弾いたのは、シューベルトの『アンプロムプチュ(即興曲変イ長調・作品90−4』という曲だった。何だ、あの水戸からやってきた奴は・・・と皆、けげんに思っただろう。」

 

なぜそんなに子供の頃からピアノが上手だったのか。それは本書の最後の方の「ピアノその1〜4」に書かれたエピソードを読めば分かります。

 

「とにかく、はじめてピアノに触れたのがいつなのか、僕は全く覚えていない。でも、好きだったんだろう。しょっちゅうピアノで遊んでいたみたい。とはいえ、ちゃんと習うというわけにもいかなかった。病弱ゆえだ。幼稚園の小林先生は若くて優しい女の方で、幼い僕は大好きだったが、何しろ休みがち。ろくに会えなかった―いや、実は、会えた。

 小林先生は、園の帰りにわが家に寄ってピアノの練習をしていく。わあい!家で臥(ふ)せっていても、小林先生に会える!

 ピアノが家にあるなんて珍しい時代だったのだ。戸外で遊ぶことがままならなかった僕が、家でピアノを弾いて・・・というよりただ遊んでいる。と、背中に視線を感じて振り返る・・・近所の子どもたちが窓に鈴なりになってのぞいているのだった。」

 

なるほど、終戦後すぐのあの時代に、とんでもなく恵まれた環境で育ったわけですね。納得です。音楽家という、私には普段あまり縁のない人の生き方がとても参考になります。