わたしの水彩スケッチと読書の旅

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コブシの咲き始めた日 作家小沢信男さんの訃報。 そして『俳句世がたり』(小沢信男著、岩波新書)再読

2021年3月7日

 

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今年はずいぶん早く庭のコブシ(モクレン科・モクレン属)の花が咲き始めました。今日はニュースで、作家の小沢信男さんがこの3月3日に93歳で死去されたことを知りました。小沢さんの代表作は、画家山下清の評伝『裸の大将一代記』ですが、私はまだ読んだことはありません(是非読んでみたいです)。小沢さんの本で読んだことがあるのはただ一冊『俳句世がたり』(岩波新書)だけ。しかし、この一冊にずいぶん刺激(影響)を受けました。個人的に、俳句・川柳・雑俳に強い関心をもつきっかけを作ってくれました。

 

まもなく東日本大震災から10年。『俳句世がたり』の中から小沢さんが震災直後の2011年4月に書かれた文章を引用します。

 

yaswatercolor.hatenablog.com

 

 

「先見た物の帰る引汐    武玉川

 

 三月十日は東京大空襲の、死者十万人余の命日で、六十六年後の今年も、両国の東京都慰霊堂では春季大法要。裏の納骨堂の扉もひらいて、香華をたむける参拝者たちが例年なみのにぎわいでした。

 翌十一日の午後二時四十六分、東日本大震災おこる。マグニチュード九・〇!関東大震災阪神・淡路大震災クラスの災害が、団体になっておしよせた。その津波のすさまじさよ。

 陸前高田気仙沼石巻、塩釜、相馬・・・、テレビがくりかえし伝えるありさまを、臍の緒切って八十余年はじめて見つめる。船も車も玩具のようにおし流し、ひきぎわがまた段違いの威力で家屋も軒なみさらってゆく。土台石だけのこった広漠は、空襲後の焼け野原さながらでありました。

 高台へのがれた人々の佇む姿に、と胸を衝かれる。午後二時四十五分まではふだんにすごしていたであろう仕事着のまま、眼下の街が崩壊するさまを、ただ見ている。ただ見ている。

 『俳諧武玉川』の、右の一句が、ふと浮かぶ。宝暦年間、ざっと二百六十年前のご先祖たちが、人事百般をさらりとうたった雑俳集で、現下の非日常とはおよそへだたるのですけれども。

 江戸は水運の街で、掘割が四通八達。そこを下駄や、猫の死骸なんかが、汐の干満につれてゆきもどりする。そんなふだんの眺めでした。大名旗本の屋敷には汐入の池。満汐引き汐、春夏秋冬、いうなら自然の推移と呼吸をあわせる暮らしむきだ。そうしながら、水道や一里塚や、当時一流の社会資本を整えていた。

 江戸にかぎらず、明治大正昭和にも、汐の干満はわりあい身近にありました。出産にも死亡にも、すりむいた傷の血の出具合にさえも。

 そんな営みから、われらはみるみる離れましたなあ。科学の進歩と、資源をひたすらくいつくぶしながらの大量生産大量消費こそが生活の進歩だぞ、という路線を一目散に突進して。ちかごろはグローバリズムがはやり言葉ですが、そんなに言うなら、ちっとは地球の身にもなってみろ。なににつけしっぺ返しはあるものだぞ。おかげでいまや、天災は、ほぼ人災にほかならず、福島原発はどうなることか。

 江戸の人々は、ぐらぐらと地震がくると「世直し世直し」と唱えたそうです。雷鳴に「桑原くわばら」と唱えるのとおなじおまじないで。

 このさい、その江戸っ子の口癖を、見直したい。茫然自失、たちすくむ津波の跡に、それでも片づけにかかる人々がいる。救援にかけつけるボランティアのみなさまがいる。水がない、米がない、電気がつかない、トイレがない。ないないづくしからたちあがる一挙手一投足こそが、そのまま世直しの歩みではないですか。

 六十六年前は、日本中の街々が焼け野原でした。復興はいつかきた道。だが、あれからこっち東京は、大江戸このかたの掘割をあらかた埋立て、高速道路などに代えてしまった。

 天地自然と呼吸をあわせる街造り、国造り。そのはるかな道のりへの歩みが、鎮魂の祈りとなりますように。

 

 津波の町の揃う命日    武玉川」

 

小沢信男さんのきっぷのいい江戸っ子語りです。この本、これからも何度も楽しませていただきます。3月3日ひな祭りの日が命日。故人のご冥福をお祈りします。