わたしの水彩スケッチと読書の旅

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名著を読む 『折々のうた』(大岡 信著、岩波新書)

2020年11月10日

 

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本箱を整理したら、手の届かない高い棚の奥の方から、普段あまり開くことのない、しかしうっかり捨てられない本が幾つか出てきました。『折々のうた』(岩波新書113)は、今から40年前の4月に、大学の恩師から送って頂いた本です。ちょうど仕事のために夫婦で日本を離れて海外で生活していた時で、たまには日本のことも思い出してリラックスしなさいという恩師の心遣いだったのだと思います。

 

岩波新書の黄版です。1980年3月21日第1刷となっています。つまり初版本ということになります。この本のシリーズは、その後、巻を重ねて、第2巻から第11巻まで、新赤版で出版されました。有名な人気のシリーズですが、私は普段あまり手にとることはありませんでした。実際、若い時にはあまり「うた」の世界に関心がなかったのです。しかし、人間は不思議なもので、歳をとると俳句や短歌や詩に次第にひかれるようになります。気が付くと、私の本箱にもその類の本がいくつか並ぶようになりました。

 

まだ折り目のついていない(きちんと読んだ形跡のない)、しかし年月を経て紙が全体に黄ばんでしまった『折々のうた』をそっと開いて、「秋のうた」の部分を読んでみました。いくつか気になる「うた」を紹介します。

 

「木(こ)のまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり

                             よみ人しらず

 

 『古今集』秋上。「心づくし」は心を尽くさせること。秋になると野山の趣が変わってあちらこちらに美しく色づき始めた自然界のすがたがある。しかもそれらはたちまち過ぎ去ってゆくつかのまの黄金の輝きである。それを思うたびに気がもめる。それが「心づくしの秋」。こちらの主観的な気分に焦点をおいて、実は秋の情感を客観的に深くとらえた含蓄のある表現が受け、『源氏物語』その他にひろく愛用された。

 

 

 初恋や 燈籠(とうろ)によする顔と顔

                        炭 太祇(たん たいぎ)

 

 江戸時代中期の俳人。「炭」はスミとも。俳句の季語の「燈籠」は盆燈籠のことで初秋のもの。寺社にある石燈籠の類ではない。この句も陽暦のお盆ではなく、涼風のたつ旧盆の季節に当てて読まないと、恥じらいつつ二人して灯影(ほかげ)に顔寄せ合っている少年少女の印象が薄れよう。連句の中にはすぐれた恋の付け句も多いが、発句(俳句)には恋の名作は少ない。中でもこれは秀逸の句。

 

 

 秋の江に打ち込む杭(くい)の響きかな

                               夏目漱石

 

 『漱石全集』所蔵。漱石は明治四十三年八月胃潰瘍のため伊豆の修禅寺で吐血し、一時仮死状態となった。死からの蘇生は彼の生涯の大きな転機となった。句はその十日ほど後、ふと病床でできた作。澄み渡る秋空。広い入江。そこに打ち込む杭の音が遠くから響いてくる。山間地に横たわる病人の幻聴か。とはいえ、そこに漱石の心はたゆたい、澄みきって呼吸していた。

 

 

 梨食うと目鼻片づけこの乙女

                      加藤楸邨(かとうしゅうそん)

 

 『吹越』(昭和五十一)所収。俳句の「俳」の字はもと一般人と変わったことをして人を興がらせる芸人の意だという。俳優の語はそこから来た。明治以降の「俳句」も和歌に対抗して滑稽な詩情を開拓した俳諧から出ているが、現代の俳句はもちろんそれだけですまない。それは新しい文学の一形態である。しかし中で加藤楸邨の近年の句は、抜群の俳味をたたえてふくよかである。梨に無心にかぶりつく少女。目も鼻もどこかへ片づけて、没頭。

 

 

 此の秋は何で年よる雲に鳥

                               松尾芭蕉

 

 芭蕉は元禄七年十月十二日(今の十一月十九日ごろ)旅先の大坂で下痢に端を発した病のため死んだ。寝込む直前の九月二十六日の作。急激な衰えと老いの自覚がこの句の背景にある。下五の「雲に鳥」の表現を得るため朝から苦心さんたんしたらしい。今年の秋はどうしてこんなに老いが身にしみるのか、という直情の嘆きを、雲に消えゆく鳥の姿が音もなく吸いとり、漂白者の魂は空に漂う。」

 

 

心に余韻を残す「うた」の数々。せっかくの機会なので、秋の夜長にひとつずつ味わっていきたいと思います。「うた」の解説をする大岡 信さんの言葉の一つ一つにも味わいがあります。流石に一流の詩人の文章です。こうして書き写していて、とても勉強になりました。

 

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今朝の秋空