わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

吊るし柿 夕日を浴びて 身が細り

2015年10月26日

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昨日、近くの野菜販売所で渋柿を一袋700円で買って帰り、25個の柿の皮をむいて2階の物干しざおにひもで吊るしました。柿はどれも大きかったのですが、今日の夕方見てみると、少し乾燥して昨日より縮んでいました。丁度夕日を浴びて輝いて見えました。

色が黒っぽくなる前にと思い、SMサイズの水彩紙にさっとスケッチしました。

 

今日の山陽新聞の朝刊「滴一滴」の欄には俳人正岡子規の話が出ていました。以下に一部を抜粋して引用します。

 

「<柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺>。最もよく知られたこの句は、120年前(明治28年)のきょう、奈良に遊んで詠んだとされる。脊椎カリエスという病で寝たきりになる前年のことである。子規は果物の中でとりわけ柿を好んだ。一度に16個を平らげたという逸話もある。体の自由が利かなくなった晩年の手記『仰臥漫録(ぎょうがまんろく)』には日々の献立を書き留めており、今の時季には柿がしばしば登場する。襲ってくる激痛にもだえながら、子規は病気に挑むように食べ続けた。朝、昼、晩と粥(かゆ)を3,4椀(わん)ずつ食べた。<食過(くいすぎ)のためか苦し>と記しつつ間食の菓子パンや果物を次々と口に運んだ。(中略)子規にとって、食べることは生きていることの証だったのだろう。その姿は壮絶さを突き抜けて、おかしくも切ない。秋が深まるにつれ、柿の実はいよいよ色づく。」



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実際に正岡子規の「仰臥漫録」を開いてみると、確かに彼は毎日死ぬほどよく食べています。例えば明治34年9月18日(子規35歳)

九月十八日 晴 寒し 朝寒暖計六十七度

朝 体温三十五度四分

粥三椀 佃煮 なら漬

便通及繃帯取換

昼 飯二椀 粥二椀 かじきのさしみ 南瓜(かぼちゃ)ならづけ 梨一つ

便通

牛乳ココア入り ねじパン形菓子パン半分ほど食う 堅くてうまからず 因(よっ)てやけ糞(くそ)になって羊羹(ようかん)菓子パン塩煎餅などくひ渋茶を呑む あと苦し

夕 粥一椀余 煮松魚(にがつお)少しくふ 佃煮 ならづけ 梅干 煮茄子 葡萄

夜便通

 

こんな具合です。本当によくこんなに食べれるなあ、と言うぐらい食べています。面白いのが「菓子パン」を毎日必ず食べていることです。間食に「菓子パン小十数個」なんていう日もあります!食べ物が贅沢なのでちょっと意外でした。もっと質素な生活だったのかと思っていました。柿が好きだったのかもしれませんが、梨、りんご、ブドウと他の果物も何でもモリモリ食べています。

 

柿はビタミンCやカロテノイドが多いので、病人は意識して沢山食べたのかもしれませんね。柿もこれから本格的に美味しくなり、そのうち我が家の吊るし柿も色が変わって渋味が抜け、甘く美味しくなることでしょう。正岡子規のことを思い出しながら頂きたいと思います。