わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ヨメナ(キク科・シオン属)

2020年10月28日

 

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いわゆる野菊です。本州から九州にかけて広く分布するノコンギクや、関東以北の本州に分布するカントウヨメナ、近畿以北の本州に分布するユウガギクなど、よく似た花が他にもあり、まとめてヨメナと呼ばれることが多いようです。漢字で書くと嫁菜。なにか古風なやさしい女性のイメージです。今の時期、田んぼの畦道などに咲いています。

 

野菊といえば、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』(1906年)を思い浮かべます。この小説の野菊は、ノコンギクかカントウヨメナではないかと言われているようです。『野菊の墓』は誰でも若い時に必ず読む小説ですね。よくおぼえていないのですが、私も確か高校生か大学生の時に読みました。若い人の淡く悲しい恋の物語でした。それ以来、一度も読み返すことがなく何十年も過ぎました。こんな年寄りになって今更『野菊の墓』でもないだろう、とは思ったのですが、さてどのぐらい正確にストーリーをおぼえているだろうか、と気になり、今回再度読んでみることにしました。青空文庫で無料公開されています。

 

15歳の少年・斉藤政夫と2歳年上の従姉・民子との物語の書き出しは次のとおりです。

 

「後(のち)の月という時分が来ると、どうも思わずには居られない。幼いわけとは思うが何分にも忘れることが出来ない。もはや十年余も過ぎ去った昔のことであるから、細かい事実は多くは覚えて居ないけれど、心持ちだけは今なお昨日の如く、その時の事を考えてると、全く当時の心持ちに立ち返って、涙が留めどなく湧くのである。悲しくもあり楽しくもありというような状態で、忘れようと思うこともないではないが、寧(むし)ろ繰返し繰返し考えては、夢幻的の興味を貪って居る事が多い。そんなわけから一寸(ちょっと)物に書いて置こうかという気になったのである。」

 

明治の末の作品ですが、いったん読み始めるとどんどん引き込まれます。短い作品なのですぐに読めます。夏目漱石が絶賛したという文章とストーリー。やはり名著です。

 

政夫と民子が家の手伝いで二人だけで遠出をして、山畑の綿を採りに行く有名な場面。

 

「道の真中は乾いているが、両側の田についている所は、露にしとしと濡れて、いろいろの草が花を開いている。タウコギは末枯(うらが)れて、水蕎麦蓼(ミズソバタデ)など一番多く繁っている。都草も黄色く花が見える。野菊がよろよろと咲いている。民さんこれ野菊がと僕は吾知らず足を留めたけれど、民子は聞こえないのかさっさと先へゆく。

 

僕は一寸脇へ物を置いて、野菊の花を一握り撮った。民子は一町ほど先へ行ってから、気がついて振り返るや否や、アレっと叫んで駆け戻ってきた。」

 

そして二人の野菊をめぐる会話が続くのです。

 

しかし、若い二人の交際を認めない家族や周囲の力が働いて、ほどなく政夫は上級学校へ進学するために家を離れ、民子は望まない縁談を断れず他所へ嫁ぎます。そして予期しない民子の死。民子の墓参りに来た政夫は、お墓の周りに民子の好きだった野菊を植えようとします。

 

「僕は懐(ふところ)にあった紙の有りたけを力杖に結ぶ。この時ふっと気がついた。民さんは野菊が大変好きであったに野菊を掘ってきて植えればよかった。いや直ぐ掘ってきて植えよう。こう考えてあたりを見ると、不思議に野菊が繁ってる。弔いの人に踏まれたらしいがなお茎立って青々として居る。民さんは野菊の中に葬られたのだ。僕はようやく少し落ち着いて人々と共に墓場を辞した。」

 

野菊・ヨメナはこうして文学を通して日本人の心にとどまりつづける。幸せな花です。