わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 『絵のある人生 — 見る楽しみ、描く喜び — 』(安野光雅著、岩波新書)

2021年1月27日

 

f:id:yaswatercolor:20210127171556j:plain

 

先日亡くなられた安野光雅さんを偲んで、『絵のある人生』をもう一度読んでみました。安野さんは1926年島根県津和野市生まれ。宇部工業学校卒業後、山口県徳山市で小学校教員。山口師範学校研究科終了後、1949年に上京し三鷹市などで小学校教員。その後、画家として独立し、絵本作家としてデビューしました。おだやかなやさしい画風で、特に水彩風景画に独特の素晴らしい作品を残されました。

 

本書は、絵画入門者向けの内容です。すでに様々な絵をよく見て知っている人や、自分で絵を長年描いている人には、少し丁寧すぎるぐらいの解説で、やはりこの人が絵の教育者からスタートしたことを感じさせる文章です。すでに知っていることは飛ばし飛ばし読んでもかまわないのですが、安野さんが、これも話したい、これも書きたいと、絵画について多岐にわたりかなり気合を入れて書いているのが感じ取れます。

 

目次は

1 絵を見る ・・・ 心を動かされる満ち足りた時間

2 絵を描く ・・・ ブリューゲルの作品を手がかりに

3 絵に生きる ・・・ ゴッホの場合、印象派の時代

4 絵を素直に ・・・ ナイーヴ派、アマチュアリズムの誇り

5 絵が分からない ・・・ 抽象絵画を見る眼

6 絵を始める人のために ・・・ テクニックは重要な問題ではない

7 絵のある人生

となっています。

 

私が今回読んでみて気に入った箇所の一つが、「第3章 絵に生きる」の中の「線の主張」という文章です。時々、線で描こうか面で描こうか、と迷う私に大事なことを教えてくれます(以下本文から引用)。

 

「たとえば昔、映画の看板は写真をもとにして、それを幻灯機でひきのばして描きました。なーんだそれなら簡単だ、と思いやすいものですが、実は簡単ではありません。なぜなら、写真には線がないからです。顔のアウトラインさえもはっきりはしません。仮にそれがはっきりしたとしても、頬や鼻のあたりは浮世絵のように線で描かれているわけではないのです。色の濃淡、明暗でできていますから、それなりの修練が必要です。

 地図や、牧野富太郎の植物図譜などは線でできています。実際の地形や植物に線はありません。線は対象に対し、それを認識したことの証として人間が取捨抽象して描いたものです。

 浮世絵はその工程の上からも、線が生まれる必然性がありました。銅版画は線でできていますが、線の密度の多少によって、明暗を表そうとしていることが多いように思います。

 西洋の絵にもデッサンがあるのですから線がなかったわけではありませんが、実際の植物にはないのですから、写実を志向した西欧の絵からは線が姿を隠すのが普通でした。

 中国や日本の書道に線の勢いがあるように、日本画には線の勢いが生きています。

 浮世絵が印象派の人たちの眼を驚かせたのは、平坦な色面の新鮮さであると同時に、線の存在のためでもありました。思うに線は直接手の動き、つまりはこころの動きを反映します。(この言い方は浮世絵にはあてはまりません。)スケッチの場合、力強さ、その反対のかそけさ、ためらい、自信のなさまで隠さずあらわれます。つまり、デッサンの線は思考の痕跡です。だから一義的に、もっともオリジナリティの高い作品と認められます。」

 

私は、基本は線を活かした水彩画を描いています。ああ、それでいいんだと、ちょっと安心し、このまま続ける自信も持ちました。本書には安野さんの絵画作品はあまり紹介されていません。これを機会に、別の本、たとえば『ポストカード版 四季おりおり』(安野光雅著、朝日新聞社)などで、安野ワールドをしばし味わってみられることをおすすめします。

 

f:id:yaswatercolor:20210127171626j:plain