わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか?  『猫には負ける』(佐々木幹郎著、亜紀書房)

2020年4月18日

 

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コロナで辛い今、最近出会ったこの本はたっぷりと心を癒やしてくれます。著者である佐々木幹郎さんは詩人で1947年奈良の生まれ。詩集『鏡の上を走りながら』で、第1回大岡信(おおおかまこと)賞受賞、といえば、ああこの人があの賞の受賞者なのかと思った人も多いことでしょう。大岡信賞は詩人の大岡さんをたたえて最近創設された賞です。

 

本書は、著者が「ツイラク・ミーちゃん」と名付けたメスの半野良の三毛猫との暮らしを書いたエッセイです。最初の「姓はツイラク、名はミーちゃん。」のところは次のような文章で始まっています。

 

「猫が愛しい。しかし、なぜ愛しいのか、なぜ、こんなヤツが可愛いのか、猫を見ながら、猫を撫(な)ぜながら考える。わたしがいま撫ぜている雌の三毛猫は、決して美女ではない。いや、それとはほど遠い顔をしている。三毛と言いながら、茶色と黒色と白色のレイアウトがバランスを欠いていて、顔の中心から左右対称になっていない。歪んでいる。目脂(めやに)を絶やさないし、ピンク色の鼻のアタマは小さな切り傷だらけだ。毎日、どこかの草むらに首を突っ込んで怪我をしてくるのだ。それが喉を鳴らして、喉の裏も撫ぜて欲しいと白い首を伸ばして仰向けになる。ヨシヨシ。わたしは彼女のオナカをさすってやる。それから喉を撫ぜてやる。彼女の言いなりである。」

 

続いて「猫が教えてくれること」の書き出しの文章です。

「猫が教えてくれることのなかで、最も大きなことは、『眠る』ことの大切さである。人生は眠ることに尽きる!と猫は言っている。いや、そんなことを言うはずはないのだが、眠っているときの猫の顔ほど、可愛いものはない。その丸く裂けた口元。ピンクの鼻。両頬から伸びる細い髭(ひげ)たち。あるいは球形となって丸まっている背中。毛に包まれて丸くなっている猫は、生きている人形だ。

 それらの姿が、この世の苦しみや不安など、すべてどうでもよい、ということを教えてくれる。可愛いね、と思わず声をかける。そのまま顔を近づけ、ミーちゃんのオナカに耳をくっつける。心臓の鼓動が聞こえてくる。人間の鼓動よりもずっと激しい。血の通う音が温かい。そのままミーちゃんの身体の上に、顔を乗せてじっとしていると、彼女は目を薄く開けて、不思議そうにわたしを見る。何をしているの?

 そして、ふいに母親のような表情をするのだ。両目には柔和な慈愛たっぷりな光がある。彼女はわたしよりずっと年上なのだ、と錯覚してしまうような。するとわたしは、いつまでたっても駄目な子どもで、こんなふうに母親に甘えているのだと、いつも思ってしまうのだ。」

 

このように、短いやさしい文章で、しかし、巧みな文章構成で、具体的に猫の様子を読者に描写してみせてくれます。猫を飼っている人は、「ああそうそう」とうなずきたくなる場面が次々とでてきます。「猫ってやっぱり可愛いよね」と共感することばかり。「ツイラク・ミーちゃん」の生い立ち、子猫時代、怪我と怪我からの復活など、愛情のこもった筆致で書き進む文章は、読んでいる者に何とも言えないこころよさを残してくれます。私はあいにくまだ佐々木幹郎さんの詩を読んだことはありませんが、この本を読み終わったあとは、何となく何編かの猫への愛の詩を読んだよう気分になりました。本のタイトル『猫には負ける』にも、シンプルに著者のその思いがこもっています。