わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

寒風に 口ずさむ歌は ジョン・デンバー (岡山市北区 里山風景水彩スケッチ)

2018年2月

 
今日の岡山市の天気は曇り時々晴れ。最高気温9℃、最低気温1℃。先週は寒い日が続き、また明日から寒波が来るという予報なので、今日は貴重なスケッチ日です。昼食を作った後、午後に自転車で近所のスケッチポイントに出かけました。いつも朝の散歩で歩く道に、いくつかスケッチ出来そうな場所を見つけてあります。今日は教員住宅の前の坂道を少し下って、その坂道から下を俯瞰(ふかん)した構図です。方向で言いうと北西向きになります。遠くの低い山々、山のふもとの民家、田んぼとブドウハウス、桃畑が目の前に広がっています。


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気温は比較的高めなのですが、スケッチをしているうちに急に風が出てきました。遠くの山の向こう側から紫色の雲がこちらに移動するにつれて、強い風が吹き始めます。今日はF4号の比較的小さな紙を厚紙2枚の上に乗せて、クリップで4方を留めていましたが、突然吹いた強風のため、クリップが水彩紙から外れて、水彩紙が空に舞い上がってしまいました。あわてて紙を追いかけて、坂道を下の方へ飛んでいく水彩紙をやっとの思いでつかまえました。その時は、自分でもびっくりするほど瞬発力があって、必死で紙を追いかけていました。まだまだ体が若いと、自分の敏捷さにやや嬉しくなりました。
 
ここから見えるのは中国山地の山々ですが、私はこの山を見るといつも、ジョン・デンバーの「ロッキーマウンテン・ハイ (Rocky Mountain High)」のメロディーを口ずさんでしまいます。アメリカのロッキー山脈とは似ても似つかぬ低山ですが、ここから見える中国山地の山々も冬の季節にはその頂きに雪をかぶることもあり、凛(りん)とした姿を見せます。ジョン・デンバーの歌の歌詞が詳しく分からないのでメロディーだけを追いかけて、♪Rocky Mountain High ! Colorado!♪ のところだけは声に出して歌います。
 
私が初めてアメリカに行ったのは29歳の時。生まれて初めて飛行機に乗りました。1月の寒い時期に成田を発って、アメリカ西海岸のワシントン州シアトル、それに中西部のイリノイ州シカゴを経由してオハイオ州のデイトン空港へ。しかし、この日は大雪でシカゴから先の接続の飛行機が飛ばず、仕方なく一晩シカゴ空港に泊まりました。飛行機会社(ノースウエストオリエント)が緊急に乗客にホテルを世話してくれたのですが、ノースウエストのカウンターに並ぶ美人の地上スタッフに見とれていて(本当にきれいな人ばかりでぼーとしてしまいました)、肝心の言われた英語が全く分からず、仕方なくいったん空港の建物の外に出てタクシー乗り場に行ったのですが、真っ暗な中、降り続く大雪の中を並ぶ人々の長い列と、行き先を聞いて客を選んで乗せる大声の黒人ドライバーの迫力に圧倒されて、ホテルに行くのは諦めました。緊張のため一睡もしないまま、その夜は空港のソファー椅子で過ごし、翌朝早くの飛行機に乗ってデイトンに着きました。オハイオ州五大湖の南で、冬は零下20℃ぐらいまで気温が下がってとても寒い所ですが、デイトンに着いた日は、道路脇にたまった凍りついた雪に太陽の光が明るく反射していて、それを見て安心し、ぱっと気持ちが明るくなりました。留学先の研究所はイエロー・スプリングスという小さな大学町にあり、電話をすると(実はデイトン空港で電話のかけ方が分からなくて、近くにいた米軍の若い兵隊さんに助けてもらいました。ダイム(10セントコイン)とクオーター(25セントコイン)の電話機への投入の仕方さえよく分からなかったのです!)、やがて研究所から車で迎えに来てくれました。迎えに来たのは大きな古い青い色のアメ車(アメリカ車)で、二人の若い黒人の女性が乗っていました。車のスピーカーからは聞きなれないリズミカルな音楽と何を言っているのか分からないディスクジョッキーの早口の声。会話をしている二人の黒人女性の英語も全く分からず。そして車の窓から見える景色は、まっすぐに伸びる片側2車線のハイウエイだけ。しかも前後に全く車がいないハイウエイ。道路は料金無料。そしてどこまで行っても途切れることのないトウモロコシと大豆の畑。生まれて初めて見る地平線!!わあ!山が全然ない!! それから1年余りのオハイオ暮らし。海を見たいとは思いませんでしたが、山が見たい気持ちは高まりました。アメリカではフォードの比較的新しい中古車を買い、いつもテープでジョン・デンバーの曲を聞いていました。そしてアメリカ生活の終わりに、アメリカ生活の途中で合流した家内と一緒にグレイハウンドの大陸横断バスでカリフォルニアへの旅。その途中で見たアメリカ中部の山々。ああ、これがロッキーだ!と感動しました。
 
そのジョン・デンバー53歳で自家用飛行機を操縦して亡くなりました。若いのに残念です。今でも時々YouTubeジョン・デンバーの歌を聞くことがあります。若い頃に見たアメリカ大陸の広大な大地と車がいないガラガラのハイウエイとが思い出されます。ついでながら、私が今住んでいる町内にはロッキーという喫茶店があります。雰囲気のいい店ですが、ここでジョン・デンバーの曲がかかったのを聞いたことはありません。


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アルシュ水彩紙 粗目 4
青墨筆ペン
シュミンケ水彩絵の具
所要時間1時間45