わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

夏空に 平和の鐘が 鳴り響く (長崎県長崎市 平和記念式典・浦上天主堂 水彩スケッチ)

2016年8月9日
 
今日の長崎平和祈念式典は午前10時35分開会です。大勢の人が訪れると予想されたので、朝8時前にホテルを出発。昨日の反省から、今日は水彩スケッチの道具も最小限にして、デイパック一つの軽装で出かけました。電停で市電を待っていると、丁度タイミングよく平和祈念式典会場のある長崎平和公園方面行きの電車が来たのでそれに乗り込みました。途中の電停から先生に引率された中学生が次々と乗り込んで来ます。私の座席の前には千葉県の中学の名札をつけた女子生徒のグループがいました。「長崎平和フォーラム」と書かれています。千葉県の各中学校の代表のようで、みんなしっかりした聡明な顔立ちの生徒さん達でした。やがて松山町電停に着き、そこで下車して、市電の線路を横切ると、すでに多くの一般市民や中学生たちが道路を歩いていました。平和公園を目の前にした国道206号線を横切るために信号待ちをしている時、ふと私のすぐ横の女子中学生の名札が目に入りました。沖縄県宜野湾中学校と書かれていました。私が今年の春に訪れてスケッチした普天間基地のある宜野湾市からこの子はわざわざこの日のために長崎までやって来たんだと思うと何だか妙に感動してしまい、思わず涙ぐんでしまいました。このおじさん、何で急に涙を拭いたりしているんだろう、とこの女子中学生は不思議に思ったかもしれませんね。何だか、歳のせいか、この頃本当に涙もろくなりました。

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丘の上にある平和公園へは上り坂なのですが、エスカレーターが設置されていて足が不自由な高齢者でも会場に行けるようになっています。報道関係者や警備担当者、それに準備のための県や市の職員が多数いるところを通って会場につきました。思ったほど広くはない会場だったので、これだと私は事前予約していなかったので入場させてもらえないかも、とちょっと不安になりましたが、金属探知機ゲートを通過し、荷物検査を受けると、問題なく会場に入ることができました。会場は大型テントに覆われていて、直射日光が当たらなくなっていました。また、会場内を市の職員の女性たちが冷たいペットボトルの水とお手拭きを配るサービスをして回っていたので、そのお陰で暑さは全く感じませんでした。式典が始まるまで2時間あったので、会場の一番後ろに設定された一般席もまだ空席が多く、楽に空いた席を見つけることができました。私の右横には私と同年代の福岡県久留米市から来られた男性、左横は宮崎県日向市から中学生を引率して来られた日向市職員の女性でした。

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両隣の人と雑談をしているうちに時間がたち、用意された沢山の席も完全に埋まり、会場の後ろや通路には大勢の人が立って式の開始を待っています。式が始まる前に被爆者コーラス・グループの合唱がありました。世界で唯一の被爆者コーラス・グループだそうで、アメリカやドイツでも公演しているそうです。幾つかの歌を歌ったあと、あの有名な「長崎の鐘」の合唱になりました。
 
「こよなく晴れた青空を 悲しと思うせつなさよ
うねりの波の人の世に はかなく生きる野の花よ
なぐさめ励まし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る
 
召されて妻は天国へ 別れて一人旅立ちぬ
かたみに残るロザリオの 鎖に白きわが涙
なぐさめ励まし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る」
 
コーラスの合唱に合わせて、予め渡されていた歌詞の書かれた紙を見ながら会場の参加者が全員で歌い始め、歌声が会場に響きました。歌は3番、4番と続き、私も一緒に歌いながら、感動してまたまた涙が溢れてきました。

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式は、式辞、献水、献花、午前11時2分の黙とう、田上長崎市長の平和宣言、来賓の安倍首相の挨拶と続きました。田上市長は、「核兵器保有国をはじめとする各国のリーダーの皆さん、そして世界中の皆さん。長崎や広島に来てください。原子雲の下で人間に何が起きたのかを知ってください。事実を知ること、それこそが核兵器のない未来を考えるスタートラインです」と訴えました。

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式は11時43分に終わりました。会場を後にし、会場のから北へ歩いて15分程のところにある浦上天主堂に行きました。この天主堂は爆心地に近く、原爆で全壊しましたが、その後信者などの努力により再建されました。都合のいいことに浦上天主堂が丁度正面に見える場所に公園があったので、そこの木陰のベンチに座って長崎の最初のスケッチをしました。おやつに持ってきていた炒り大豆一袋がありましたが、公園の鳩が可愛かったので、全部やってしまいました。鳩たちは思わぬプレゼントに大喜びでした。

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スケッチは1時間ほどで終わり、それから歩いて丘をのぼって浦上天主堂に到着。堂内見せて頂き、それからまた歩いて爆心地に行き、そして最後に原爆資料館に行きました。

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今日は原爆資料館は無料開放されていました。原爆投下時の長崎市の人口は約24万人。そして原爆による死者は7万4千人、負傷者は7万5千人でした。この資料館は原爆の悲惨さを展示するだけでなく、核兵器廃絶の重要性を訴える展示に力をいれているのが印象的でした。現在の世界の核弾頭数は、アメリカ7千200発、ロシア7千500発、中国250発など、全部で約1万5千700発。もう気が遠くなるような数です。核戦争暴発の危険性を人間の理性で果たして食い止められるのか。
 
かなり気分が重くなって、ホテルへ向かって再び市電に乗りました。途中で長崎の出島の電停に来たので、気分転換にそこで降りることにしました。

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長崎と言えば出島。中学や高校の歴史の時間に習った有名な場所です。現在、出島周辺は完全に埋め立てられて昔の面影はないのですが、長崎市は今「よみがえる出島」プロジェクトを進めているようです。あまり期待しないで入場料を払って入ってみると、昔の出島の建物が半分程度再建されていました。各建物の展示がなかなか面白い。出島から特別に外出を許されたオランダ人シーボルトの日本の植物に関する研究や地理(地図)・地誌に関する活動は特に有名なので、この昔の建物の復元が完成すると多分長崎の新しい名所になるでしょうね。

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夕食は昨晩行った中華街の店でまたまた長崎ちゃんぽん。今度は、昨日のチャンポンからワンランク上がって上チャンポン(千円)。そしておまけにシュウマイ(3個)と生ビールも注文。これがまた素晴らしく美味しい。 お腹いっぱいになって「ああ、長崎は今日も チャンポンだった」と鼻歌でも出そうないい気分でした。

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