わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ああ今日も雨だった♪ と 歌われし街の 炎暑かな (長崎県長崎市 平和祈念式典への旅)

2016年8月8日 

8月9日の長崎平和祈念式典に出席するため、長崎市に来ました。長崎に原爆が投下されて71年目の夏です。岡山を朝8時過ぎに出発する山陽新幹線に乗り、九州新幹線長崎本線を経由して11時40分過ぎに長崎着。鉄道は便利です。やがて長崎新幹線が開通すると旅がもっと速くなるでしょう。長崎に来るのは実に40年ぶり。駅前の立体歩道橋が昔のままの姿で懐かしいです。そして駅前の市電も昔のまま。駅前から見ると山の上まで家が建っているのがわかり、長崎は坂の街だなあと実感。


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丁度お昼前なので、長崎駅で駅弁を買ってどこかで食べることにしました。お目当ての駅弁は「全日本鉄道旅行地図帳2016」に載っていた「鯨カツ弁当」。駅前の弁当売場に行くと、ありました、ありました。数量限定販売で、あと残り1個でした。これを買って大事にデイバッグに入れて、それから観光案内所で市電の1日乗車券(500円)を買い、ついでに市内の地図をもらい、まず今夜のホテルへ。ホテルで荷物を預けて、それから市電で大浦天主堂へ。市電は古い車体が多いのですが、中は冷房がよく効いていて快適です。

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大浦天主堂は1597年に長崎の西崎で豊臣秀吉の命で、はりつけの刑に処せられた26人のキリスト教徒(日本二十六聖人)に捧げるために1865年に建造された聖堂(国宝)です。この日本二十六聖人の中には、私が毎朝夕通る散歩道(岡山市)の近くで出生した市川喜左衛門(ディエゴ喜斎)も含まれています。ちなみに、この私の朝夕の散歩道に沿った集落の住民の多くが市川姓です。
 
今日はまた全国的に猛暑の日でした。長崎も猛烈な暑さ。お腹が減ったので、まず長崎駅で買った駅弁を大浦天主堂の近くのベンチに座って食べました。鯨カツ、なんとなく懐かしい味です。

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昔、子供のころは牛肉など手に入らなくて、もっぱらカチカチに凍った鯨の肉を薄く切って刺身にしたり、ステーキにしたりして食べていたのを思い出しました。この鯨カツ弁当、長崎を代表する駅弁だけあって大変良い味でした。さらに鯨の浮世絵の絵柄(「宮本武蔵と巨鯨」歌川國芳作)の弁当の包み紙が素晴らしくて、これには感動しました。こんな奇麗な包み紙の駅弁は珍しいと思います。記念に大事に保存することにしました。


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今回、長崎に来る前から大浦天主堂は是非スケッチしたいと思っていました。今日は当然イーゼルと水彩道具一式をもっていましたが、大浦天主堂を正面から眺める場所はあいにく土産物売り場が並んでいて人通りが多く、とても絵を描けるような感じではありませんでした。大浦天主堂に入って、しばらく静かに中を見せて頂いた後、再び外で適当な場所を探しましたが日陰でよさそうな場所が見つかりません。仕方なく、すぐ横のグラバー園に行きました。

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ここには幕末から明治初期に建てられた旧グラバー住宅、旧リンガー住宅などの洋風住宅などが並んでいます。ここも歩きまわりましたが、ここも日陰がありません。屋内は冷房が効いていますが、外は猛烈な暑さで、とてもスケッチができる状態ではありませんでした。ペットボトルの水を何本も消費して、体も消耗してきました。体中が汗でベトベトです。仕方なく、ここも退去。「ああ、長崎は今日も雨だった♪」という歌が有名なのに、涼しい夕立は全然来そうにありません。恨めしい気持ちを引きずりながら、歩いて長崎港の方へ出ました。

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港の埠頭には今まで見たこともないような大型クルーズ船が停泊していました。まるで大型アパートかマンションと見間違う程の大きな船です。そこから次々と出入りする沢山の中国人観光客。大浦天主堂グラバー園も中国人だらけだった理由が分かりました。
 
クーラ―の効いた市電に乗ってとりあえずホテルに帰り、シャワーで汗を流して一寝入りしてから夕食へ。ホテルの近くの長崎中華街の店で長崎ちゃんぽんを頂きました。

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大きな清潔な店で、白い割烹着を着た中高年のウエイトレスさんが印象的。ちゃんぽんはすごく美味しくて、とても800円とは思えない味とボリューム。疲れが取れました。「スープも残さず飲んでください」、とメニューに書いてあったので、そのとおりにしました。お陰で昼間に汗で失った塩分も補給されました。

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今日は重たいスケッチ道具を持っていたのに、スケッチは一枚も描かないまま。こんな日もあります。明日は今回の旅の目的である平和祈念式典です。今晩は明日に備えてゆっくり休んで、どこでスケッチするか、作戦の練り直しです。