わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

二十世紀梨

2015年9月24日


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大きな二十世紀梨を沢山いただきました。二十世紀梨は私が最も好きな果物の一つです。大学生の頃、秋になると当時自宅(帰省先)があった鳥取県の両親から青い梨の入った箱が送られてきて、沢山あるので下宿の大家さんや友だちに分けてあげると、とても喜ばれました。下宿の部屋で、一人で梨の皮を果物ナイフで剥いて、それから果汁の多い果肉にかぶりつく快感は忘れられません。ひとりでこんな大きな梨を食べていいのだろうか、とちょっと罪悪感のようなものも感じながら、それでも初秋の梨の美味しさに我を忘れました。

 

二十世紀梨はスーパーでは丁度今頃、秋の初めに現れて、あっという間に姿を消してしまいます。それだけに、いつも注意してこの時期の梨を逃さないように気をつけています。青梨が現れて、同じ頃赤梨、そして赤梨と青梨の交配種である幸水などが続々と現れます。

 

「たべもの植物記」(能戸忠夫著、山と渓谷社)の「なし」の項を見ると次のように書かれています。

 

「日本のナシには赤銅色をした赤ナシ系と青磁色をした青ナシ系の二系統がある。九州から東北地方の各地で、地名や育て親の名前がつけられた多くの品種が、数百年にわたって栽培されてきたようだ。ところが十九世紀末に、突然赤ナシ系の『長十郎』と青ナシ系の『二十世紀』が登場すると、それまでの品種は姿を消してしまったといわれている。

 赤ナシ系の『長十郎』は、明治二十七~二十八年頃、川崎大師のそばにあった当麻長十郎という屋号をもつ赤ナシ園から突然変異で生まれた。今までの赤ナシに比べて倍くらい大きいうえ、甘さは充分、果汁もたっぷりで、発見者の当麻辰次郎は赤く輝いた果実をお大師様のご利益だと感激し、屋号にちなんで長十郎と命名した。現在も川崎大師境内には、長十郎発祥の地の石碑がたっている。

 ほとんど同じころの明治二十六年、千葉県松戸の旧家、松戸覚三郎氏のゴミ捨て場で一尺(約三十センチ)足らずのナシの実生の苗木が見つかった。覚三郎氏はそれまで青ナシ系の『太白』を栽培していたが、ちょっと違うなと思ってその苗木を育ててみた。

 苗木を発見してから五年後、木には大きくて輝くような青磁色の、素晴らしい甘みと上品な味の美果ができた。あと三年もすれば、新しい二十世紀がはじまるところから『二十世紀』と命名した。ただ『二十世紀』は黒斑病という非常にやっかいな病気に弱いため、なかなか普及しなかった。そのため、病気に強い『長十郎』の全盛が続くが、昭和初年にようやく黒斑病の防除が可能になって『二十世紀』の全盛時代がやってきた。しかし袋がけなど、たいへんな仕事もあるようだ。」

 

なるほど、二十世紀梨の苗木はゴミ捨て場から偶然拾い上げられたんですね。「残り物には福がある」とよく言いますが、捨てられたものにも福があることがあるようです。

 

二十世紀梨はあの薄緑色の包装紙にもなんとも言えない「味」があります。今日は包み紙までは描く時間がなかったので、背景の色をこの包装紙の色にしました。


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ホワイトワトソン水彩紙 SMサイズ

ペンテル青墨筆ペン

シュミンケ固形水彩絵の具

所要時間:30分