わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

「どっち好き? スカイツリーと東京タワー」

2015年5月17日
 
5月16日土曜日の朝日新聞土曜版に「どっち好き? スカイツリーと東京タワー」の記事がありました。東京に住んでいないので、どっちでもいいのですが、あえて選ぶなら、私は東京タワーです。ちなみに読者の答えは、東京スカイツリー32%、東京タワー68%で、東京タワー圧勝でした。「東京スカイツリー」に行ったことはある?の質問に、「見たことあるだけ」34%、「生で見たことはない」29%でした。私は「見たことあるだけ」に属します。一方、「東京タワー」に行ったことはある?の質問に、「見たことあるだけ」の人10%、生で見たことはない」人は5%でした。私は「展望台まで上がった」78%に属します。今まで東京タワーを見たことがない、あるいは見ただけで上っていない人、結構いるんですね!!この少数派、おおいにOK!です。「東京より田舎のほうがずっといいよ!」の声が聞こえて来そうです。
 
私が東京へ初めて行ったのは中学の修学旅行の時でした。その時、東京タワーの展望台にも上がりました。昭和38年のことです。東京タワーが出来てまだ数年しか経っていない頃です。
 
修学旅行の列車も思い出深いです。出発当日の朝、修学旅行専用列車は国鉄山陰本線米子駅を出ました。当時山陰本線は全線単線で全く電化していませんでした。はっきりと記憶にありませんが、ひょっとしたら蒸気機関車に引かれた修学旅行専用客車に乗っていたかもしれません。当然、列車は寝台列車ではなく、普通の客車の対面式の固い座席に4人がけで座り、夜になるとそのまま座席や床に新聞紙を敷いて男子も女子も全員ゴロゴロ寝ました。
 
今思い出しても恥ずかしいこと、それは列車が夕方京都駅に着いた時に起きました。京都から東海道本線に入るのでそれまでの機関車を電気機関車に付け替えるのですが、その作業にかなり時間がかかり、その間、修学旅行列車は勤め帰りの人たちでごった返す京都駅のメインホームに入ってしばらく止まったままになったのです。その時、私達田舎の中学生は皆下着のシャツや運動着姿で床や座席に転がっていました。それがきちんとした服装の人々が並ぶホームから丸見えで、おおいに恥ずかしかったのです。窓を覆う布製のブラインドみたいな洒落たものは当時の列車には付けられておらず、早く京都駅をでてくれ、とその時はそればかり願っていました。

さて、東京では、皇居、後楽園球場(外からみただけ)、羽田空港、上野公園、東京タワーに行きました。お土産に、各種絵葉書と、東京タワーのミニチュアの置物を買いました。当時はこの種のミニチュア置物が流行っていたらしく、よせばいいのに私は楠木正成像、西郷隆盛像まで買ってしまいました。東京タワーの土産物売り場では、タツノオトシゴが封入された透明プラスチックの置物も買いました。タツノオトシゴが子供心をひきつけたのでしょうね。泊まったのは文京区本郷の旅館でした。東京にもこんな大きな長屋みたいな木造2階建ての古い旅館があるんだ、と当時感心して眺めたのを憶えています、本郷は勿論東大の本郷キャンパスがあるところですが、樋口一葉の作品にも出てきそうな古い小さな民家の密集した地域や細い路地が広がっていて、面白そうな場所に思えました。
 
東京タワーはその後、ミニチュアの置物をながめて、よく思い出しました。そしてその大事な置物も、やがて目の前からどこかへ消えてなくなりました。当時、全国の地方の子供たちが修学旅行でこのミニチュア東京タワーを買って帰ったのだと思います。全国あちこちのお父さんやお母さんが、ふと屈んだ拍子に、子供が買ってきて放ったらかしにしていたその東京タワーの先端がおしりに突き刺さったという、本当か冗談かわからないような話をよく聞きました。昭和30年代の、まさに「三丁目の夕日」の映画に出てきそうな、なつかしい笑い話です。