わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

赤レンガ 立ち並ぶ 港と 自衛艦 (京都府舞鶴市 水彩スケッチ)

20129

 

この町には一度ゆっくり来てみたかった。その願いが今回叶いました。JR東舞鶴駅前はすっきりとしていて、かなりきれいに整備されています。駅から歩いて左手、すぐのところに自転車・歩行者専用道路があり、それを歩いていくと北吸トンネルに来ます。もとは列車の線路が走っていたところを、このように自転車・歩行者専用道路に変えたようで、なかなかいいアイデアです。写真を撮っている人も何人かいました。そのトンネルを抜けると、赤レンガの建物が立ち並ぶ港に出ます。



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赤レンガの建物は、もとは旧海軍の兵器倉庫として建てられたとか。今は舞鶴市の歴史の展示やレンガ博物館として使用されています。ここに来て、やはりすごいのは、赤レンガのすぐ向こうに、普段見ることのない独特の灰色をした自衛艦が見えることです。海が眼の前なので、海岸沿いにちょっと歩いてみると、すごい!すごい!次第に湾の陰に巨大な建造物のように停泊している灰色の大型自衛艦が次々と見えてきます。大きな造船所もあって、ここは一大基地です。この付近は湾が入り組み、多分、防衛にとっても好都合な地形なんでしょうね。


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 お昼ご飯は、赤レンガ館のレストランで「海軍カレー700円を頂きました。味は普通のカレーですが、皿にイカリのマークが入っていて、いかにも「海軍カレー」です。一緒についてきたグレープフルーツジュースもさわやかでした。



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 赤レンガの建物が並ぶ場所で、日陰を選んで、スケッチ開始。今日も、最初は誰もいない場所で一人でゆったり絵を描いていたのですが、そのうち団体さんがバスで赤レンガの見学に来て、何人かのおばさんたちが通すがりに私の絵を見て行きました。おばさん達と話をするのも楽しいし、風がもう秋の風で涼しく、スケッチしていると実に幸せな気分です。


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 絵を描き終えて、次に、舞鶴で是非とも訪れたい場所、「舞鶴引き揚げ記念館」に行きました。舞鶴港は、昭和20年以来、13年にわたり、66万人以上の引揚者と16千柱の遺骨を迎え入れてきました。館内に入ると、その本物の展示物に圧倒されました。ソビエト抑留生活の悲惨さが伝わってきて、途中から思わず涙してしまいました。徴兵の召集令状、いわゆる「赤紙」、も今回初めて本物を見ました。これが送られて来たら、「行ってきます」しか言えなかった時代がつい70年ぐらい前の日本にありました。一枚の薄っぺらな紙に書かれている文章は、強制的で事務的で、有無を言わせぬ文章です。私自身は戦後生まれの、いわゆる戦争を知らない世代なのですが、シベリアに抑留されていた伯父の話や、旧陸軍でたまたま広島に派遣されていて被爆した父、そのほかのいろいろな人の体験談を聞くにつけ、もうこんな経験は二度としてはいけないと、子供の頃から感じていました。いま、その思いが、昔の写真や資料を見ていて、あらためて強くなりました。それにしても、この引揚者を迎え入れた場所は東舞鶴港から7キロも離れた場所です。途中は何もない海岸沿いの道路です。戦後すぐのころは、ますます何もなかっただろうに、帰還した大勢の兵士やそのほかの人たちは、この道をどうやって舞鶴の町まで来たのでしょうか。それがちょっと気になりました。舞鶴の婦人会の女性たちが、引揚船が着く度に食糧難の中を炊き出しをし、子供たちは舞鶴からふるさとへ帰還する兵士を乗せた列車に、沿線に並んでいつまでも笑顔で手をふりつづけたとか。ここの展示で思わす涙が出ました。日本人は素晴らしい。



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 ちょっと悲しい気持ちがあふれた「引き揚げ記念館」でしたが、帰りのバスを待つ間、記念館の職員の若い女性とよもやま話をして、気持ちが明るくなりました。「今日は小学生も団体で見にきてくれたんですよ」と明るい笑顔の彼女をみて、「そうだ、今の子供たちや若者たちにも、ぜひここを訪れて欲しい」と思いました。海上自衛隊海上保安庁の重要な基地である舞鶴。国を守るために日々働いている人たちに敬意を払い、感謝の気持ちを抱きつつ、同時に、こらから先の日本の平和を願わずにはいられませんでした。