わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

桃の香が 満ちて 今年も 夏休み (夏休み 白桃スケッチ)

20128

 

桃、ぶどう、梨、と次々に現れる夏・秋の味覚。特に桃はその先頭を切って果物売り場に並びます。これが出ると夏真っ盛り、そして秋もそう遠くない、という感じですね。

 
果物は雨によってその糖度が左右されます。今年は梅雨の豪雨はあったものの、その後は猛烈な暑さと少雨で、果物の出来は全般にいいようです。今日は近所の農家が出している店で白桃を買ったので、それをスケッチしました。部屋中にいい香りが充満して、なんとも言えない幸せな気分です。


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 私は週末よく野外スケッチに出かけますが、平日は仕事で忙しく、やはり8月の盆休みは貴重な自由時間です。今年の盆休みは、スイカ、桃、ブドウなどの果物を食べながら、スケッチをしたり読書をしたりと、いつもの年と同じのんびりした夏休みでした。この3日間で本を1冊読みました。志賀直哉の「暗夜行路」です。何を今さら、と思われるかもしれませんが、志賀直哉の随筆や短編小説は「城崎にて」など、中学校や高校の教科書にも取り上げられ、いくつか読んだことはありましたが、実はこの有名な「暗夜行路」をはじめから終わりまで完全に読んだことはありませんでした。私が最近スケッチ旅行で出かけた尾道や大山を、「暗夜行路」の主人公、時任謙作(ときとうけんさく)が訪れたことは知っていましたが、それぞれの土地を訪ねて、また尾道志賀直哉の旧宅なども訪ねる機会があって、「これはやはり一度はちゃんと読まなくては」という気分になり、自宅の本棚に眠っていた古い文庫本を読み始めました。



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 これはもちろん小説ですが、かなり自伝的要素が強い小説(私小説)のように思われます。志賀直哉の唯一の長編小説で、30歳代から書きはじめ、書き終わったのは54歳の時ということですから、生涯の充実した時期の大半をかけて書いた小説ということになります。前篇を読むと、ちょっと私にはついていけないぐらい神経の細やかなインテリ青年の、ある意味かなり自由で勝手気ままな生活の描写の連続(志賀直哉は財力のある家庭の出身で、学生時代は放蕩の限りを尽くしたそうです)で、「明治から大正期のいわゆる資産家層の若者の暮らしとはこんなに自由奔放だったのか、彼らにとっての友情や恋愛とはこんなだったのか、これはとても特別な人の話だ」という程度の印象しか得られなかったのですが、後篇になり、主人公が結婚し、最初の子供が生まれて、そして間もなくその子が病死し、そしてその間に夫婦の葛藤があり、というあたりから、ぐんぐんと話が展開し、主人公時任謙作の悩みがより具体的に文章から響いてくるようになります。確かに、志賀直哉は文章がうまい。流れるような会話に無理が全くない。それが、後半になってさえわたってくる感じがします。現在でも作家志望の人が、志賀直哉の文体を真似して、筆記して練習したりするそうですが、画学生が絵の模写をするのと同じで、これも勉強になりそうですね。



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 私がスケッチで訪れた尾道、大山(だいせん)、そしてその前に出てくる京都や東京の特定の地名など、何度も行ったことのある場所が次々とでてきて、やはり志賀直哉は自分の足でよく日本中を歩いているなあ、と思いました。また、その旅の、あるいは旅先で滞在した状況をしっかりと記録または記憶していて生き生きとした文章にできる、これは並大抵の才能ではありません。旅で刺激を受けて、次々と作品のアイデアが生まれたのでしょう。そして、「暗夜行路」には大正時代の日本の風物、平成の現代において日本人が失ってしまった懐かしいもの、が多く描かれています。

 

古いものが全て良いわけではもちろんありませんが、なぜか日本人は古くてよいものまで簡単に壊して、新しく味気ないものに変えてしまう傾向があります。幸い「暗夜行路」に出てくる京都や尾道や大山は、昔の町の姿やたたずまいを今にとどめています。私が小さなスケッチ旅行をしていて「描きたい!」と心惹かれるのは、いつもこのような古くて懐かしい、そして美しい日本の風景です。