わたしの水彩スケッチと読書の旅

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こんな本読んだことありますか? 『ひとり旅は楽し』(池内 紀著、中公新書) (その3)

2021年1月3日

 

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『ひとり旅は楽し』の第I部と第II部では、池内さんのひとり旅へのこだわりのようなものが分かりましたが、後半の第III部から第VI部では、そのこだわりが更に鮮明になります。ひとり旅では、道に迷う、電車に遅れるなど、時にパニック寸前になることがよくあります。池内さんもその例外ではありません。自分の苦い経験を素直に振り返って、自分を見失うぐらい冷静さをなくしてしまった時のことをが正直に描写されています。読んでいる私たちもリアルタイムで同じ経験をしているような、そんな気分になります。

 

よい宿をみつけることの難しさ。池内さんは「いい宿と出くわすのは旅の楽しみの一つである」、「見つける工夫をすれば、きっと見つかる」と書いています。多分、自分でいろいろな宿に一人で泊る経験を積んで、良い宿に巡り会える難しさを十分知った上での言葉でしょう。ひとり旅の客を多くの宿が敬遠する(嫌がる)という事情は、私も経験していてよく分かります。

 

「湯のつかり方」では、温泉の入り方の指南。露天風呂での混浴の話も出てきます。これは東北のひなびた温泉などでは自然に経験することで、ほのぼのとした旅の思い出となります。日本各地にある個性的な温泉の数々は、日本のひとり旅には欠かせないもの。それにまつわる話題にも力が入ります。

 

ひとり旅は身近なところでもできます。都内のひとり旅についても書かれています。池内さんは、特に東京が好きというわけではなさそうだということが何となく分かります。もともと関西の生まれだからという理由ではなく、やはり反権威・反権力という感覚が、日本の全てのものをまとめて国家の中心都市として他を圧倒する東京に対して、複雑な感情を抱かせるのでしょう。

 

池内さんが抱いた反権力・反権威の心情や、在野の人に対する敬意は、池内さんが大分県中津市福沢諭吉旧宅を訪れた時の文章にも現れています。

 

「復元された旧宅の隣に記念館があって、遺品や遺墨や資料が展示されていた。勤王の志士とやらが天下国家を論じ、人斬り沙汰に精出していたころ、彼はせっせと本を読んできた。幕府崩壊の前夜、江戸中にデマがとびかい、誰もが浮き足だって右往左往している最中に、出入りの大工に塾を普請(ふしん)させて、いつもどおり授業をしていた。維新後、人みなが、われもわれもと新政府にむらがって官途についたとき、自分はさっさと野に下った。

 晩年の写真が大きくひきのばしてあって、私はしばらく見とれていた。鳥打帽(とりうちぼう)に半てん、下は股引(ももひき)。まるきり職人の格好である。そんな姿でコーモリ傘を杖がわりに三田(みた)近辺を散策していたらしい。なんとあっぱれな人生ではないか。」

 

池内さんの旅のエッセイをじっくり読んで、人の生き方を考えさせられました。私もあと数年もすれば池内さんが亡くなった歳に達するのですが、今からでも遅くはない — 池内さんの生き方を少しは見習いたいと思います。無理に力まず、穏やかに、飄々(ひょうひょう)と、しかし言うべきことを言い続けた池内さんの姿勢は、多くの人々の共感を呼んでいます。