わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 『ひとり旅は楽し』(池内 紀著、中公新書) (その2)

2021年1月2日

 

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「出かける前 — まえがきにかえて」では、「ひとり旅には手本がある」として若山牧水山下清、寅さんを例に上げて、それぞれの旅人が自分の旅のスタイルをもっていたことを説明しています。それは、旅に必要なはきものや持ち物に限る話ではなく、ルートの選び方や人との接し方などの旅の作戦、今風に言えば「ストラテジー(戦略)」においても、独自の感覚が必要であるということです。そしてひとり旅の必需品は何と言っても「無限の好奇心」。これがあってはじめて旅が自分のものになると述べています。さらに旅の中でのんびりする勇気、知恵、我慢についても触れられています。これだけの心構えをもって、さていよいよひとり旅の開始です。

 

全体の構成は第I部〜第VI部となっていて、各部に著者のひとり旅の思い出が数編ずつ書かれています。今回は第I部と第II部を読んでみました。

 

第I部の最初は「島に渡ると」。池内さんは兵庫県姫路の出身で、幼い頃行った瀬戸内海の家島群島の思い出が強烈だったようです。小学4年の時に西島という島をクラスの仲間と訪れた時に一人で島の岩山の頂上に上って、周りの広大な空間に一人でいる自分を強く意識したのが、その後のひとり旅の原点になったようです。それ以来、日本各地の島を一人で訪問する旅を好んで続けました。

 

「五十五の齢まで人並みにちゃんと勤め、サラリーをもらっていた。書類をかかえ、しかつめらしく会議に出ていた。今にして思うと、それがむしろ夢のようだ。

 権力とか権威がキライで、イバりたがる人には、なるたけ近づかない。群れるのも好まなかった。同窓会やクラス会、何とか仲間で昔がたりをしたり、気炎をあげたりするのも性に合わない。過去はなつかしく、たまに仲間に会うのはうれしいが、なるたけひとりでいたい。幸いにも利害で結びつくのとは縁がなかった。

 島に渡ると、どこかこの世とのつながりが切れたような気がする。そして誰の支障ともならない。自分の存在なんて、そんなものなのだ。おりおりゼロに近い自分にもどってみるのはいいことだ。それだけ、まわりの世界がゆたかに見える。」

 

この文章を読んで、「あっ、自分と同じだ」と感じる人は多いでしょう。私もそうでした。そして池内さんがとても身近な人に感じられました。

 

この他、第II部の終わりまでに房総半島の須崎、四国の遍路道、神戸・函館・長崎の町、熊野、東海道、九州大分、奈良などのひとり旅のエピソードが楽しめます。私がこの本を読んで感じるのは、『ぼんやりの時間』や『四国遍路』(いずれも岩波新書)を書いた元朝日新聞論説委員 故・辰濃和男(たつのかずお)さんとの共通点です。二人共、忙しい仕事を経験した後で、時間に追われて効率を求める現代人の生き方に疑問を示し、ひとり旅やひとりでぼんやり過ごす時間の中に意義を求めた人たちです。

 

正月ののんびりした気分でこの本を読み進むうちに、コロナが収束したら一人で旅をしてみたい、という思いが募ってきます。これからは生き方も考え方も、一人ひとりが大転換を迫られる時代がやって来ると思われますが、そんな時にこんな旅の本からも新時代に生きる知恵をもらえるかもしれません。