わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

この本もう読みましたか?  『ペスト』(アルベール・カミュ著、宮崎嶺雄訳、新潮文庫)、 『100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』(中条省平著、NHK出版)

2020年7月25日

 

f:id:yaswatercolor:20200725174619j:plain

 

新型コロナウイルスが世界的に流行する中で、1947年に発表されたカミュの『ペスト』がいま広く読まれているようです。過去のヨーロッパでのペスト流行を扱うパニック小説かと思いきや、意外にも疫病流行の下での様々な人物の行動や心理が、感情的ではなくどちらかと言うと淡々と描かれている作品です。場所はアルジェリアの港町オラン。主人公は医師リウー。第二次世界大戦終了直後の北アフリカアルジェリアが舞台ですが、ヨーロッパ(特にフランス)の社会的・文化的・歴史的影響が背景にあります。そこで新たに起こるペスト禍、そして都市封鎖が描かれます。

 

本文の書き始めは以下の様になっています。

 

「この記録の主題をなす奇異な事件は、一九四*年、オランに起こった。通常というには少々けたはずれの事件なのに、起こった場所がそれにふさわしくないというのが一般の意見である。最初見た眼には、オランはなるほど通常の町であり、アルジェリア海岸におけるフランスの一県庁所在地以上の何ものでもない。

 町それ自身、なんとしても、みすぼらしい町といわねばならぬ。見たところただ平穏な町であり、地球上どこにでもある他の多くの商業都市と違っている点に気づくためには、多少の時日を要する。どういえば想像がつくか、たとえば、鳩もおらず、樹木も庭園もない、鳥の羽ばたきにも木の葉のそよぎにも接することのない町、いってしまえば一個の中性の場所というような町である。季節の変化もここでは空の中にしか認められない。春はただ空気の質によって、あるいは小さな売子たちが近在からまた持って来始める花籠によって、それと知られるばかり。つまり市場で売っている春である。」

 

この大作を読み始めるとすぐに感じるのは、当時の社会の閉塞感や重々しさ。そして読み進むうちに幾度となくぶつかる哲学的ですぐには理解不能な記述。私には全体を通して翻訳の硬さが気になりました。また、カミュの文章の特徴なのかもしれませんが、状況の記述があっさりしていて、リウーを中心とする登場人物の特徴や人物相互の関係性もなかなか捉えにくいものがあります。話の前半を読み終わり、中盤あたりでストーリー展開とこの訳文にかなり疲れて、もう読むのをやめようかと思ったところで、中条省平さんの 『100分de名著 アルベール・カミュ ペスト』に助けられました。

 

このガイドブックでは、カミュの生い立ちの紹介から始まり、学生時代、結婚、離婚、そして再婚、第二次世界大戦中の対ドイツレジスタンス運動参加、サルトルボーヴォワールとの交流、43歳でのノーベル文学賞受賞、46歳での交通事故死と、彼の生涯が丁寧に説明されています。これで相当読書欲が復活しました。そして当然のことながら、カミュの文学の特徴、『ペスト』を読む上でのポイントが書かれています。中条さんは何と中学1年生の時にカミュの代表作『異邦人』を読んで強い衝撃を受け(私など高齢者と呼ばれる歳になってもまだ読んでいません・・・)、高校生の時に『ペスト』を読んで感動したそうです。すごい人もいるものです。この読書によって実存主義の思想にも傾倒したそうです。

 

このガイドブックを見ながらの『ペスト』の読書。難解な本を読む時には、こんなやり方もいいと思いました。カミュの哲学思考にあまり関心のない読者には助かります。読み進んで本文の後半に入ると、登場人物の生き方に少しずつ感動する場面も出てきます。本の最終部分ではペストが嘘のようにこの町からいなくなり、ストーリーにも明るさが出てきます。前半、中盤の重苦しさ・難解さを抜けて、後半にまで読書をすすめて、やっと分かる「名著」の重さ・厚みでしょうか。読み終えた後、充足感は残りました。しかし、疫病禍をどうやって人々が乗り越えるのか、というまさに現代の「新型コロナウイルス禍」に対して速やかな解答を求める一般読者にとっては、『ペスト』は読むのにかなりの努力と我慢を強いる作品だと思いました。

 

(ついでにペストについても若干勉強しました。古代から中世、そして近代まで世界各地で猛威をふるい、黒死病として恐れられ、ヨーロッパを中心に膨大な数の死者が出ました。今でも世界各地でまだくすぶっている病気のようです。幸い我が国ではペスト菌は根絶されて、現在は症例はないそうです。しかし、グローバル化で人が地球規模で移動する現在では先のことは分かりません。いつの時代にも、人類は次々と現れる細菌病やウイルス病に向かい合っていかなければならない運命です)