わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

2019年師走 「第九」を聞く

2019年12月1日

 

12月になりました。今日は生まれて初めて、生で「第九」(ベートーベン交響曲第9番ニ短調、作品125「合唱」)を聞きました。岡山シンフォニーホールで、岡山フィルハーモニック管弦楽団と岡山第九を歌う市民の会の共演でした。

 

クラシック音楽に初めて触れたのは、確か中学校の音楽の時間だったとおもいます。音楽教室で有名な曲のレコードを聞かせてもらいました。「第九」もその時に鑑賞した記憶があります。大学に入学すると、一般教育で「音楽」の授業があり、この授業では大教室で大音響でクラシック音楽を聞かせてもらいました。この授業はとても好きでした。そして大学院に入り、自分でレコードプレイヤーとアンプを買い、クラシックのレコードを聞くようになりました。最初に買ったのがドボルザークの「新世界」。そして程なく買ったのが「第九合唱」でした。

 

捨てずにしまっていた昔のレコードを引っ張り出してみると、とてもなつかしい。もう今はレコード盤を保管しているだけで、レコードプレイヤーがないので音の再生はできません。私が持っているのは、レオポルド・ストコフスキー指揮、ロンドン交響楽団、合唱団の演奏で、1970年のレコーディングです。レコードの発売は1977年。かなり昔です。私がこのレコードを買ったのが20代後半。このレコードは当時としては最新のものでした。もう一度このレコードの音を聞いて見たい気がしますが、まあやめておきましょう。思い出は封印しておきます。その後、音楽テープ、CDの時代になっても「第九」を聞きました。今は小沢征爾指揮のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏を時々車のCDプレイヤーで聞きます。

 

今日の演奏は、とても良かったです。市民の会の合唱は迫力がありました。

演奏終了後、アンコールで歌の一部を会場全体で歌うという時間があり、皆でドイツ語の歌詞を声に出して歌いました。ドイツ語を読むのは本当に久しぶり。私の大学時代はまだドイツ語が第二外国語として大事な時代で、特に理系の場合は大学院の入試でドイツ語の試験があったので、かなり必死で勉強した記憶があります。しかし、あれからほぼ半世紀。ドイツの科学力の相対的な低下もあり、今は英語のみで全て通用します。そして大学の第二外国語としては中国語が人気です。中国の台頭する現代では当然のことです。しかし、時代が変わっても音楽の世界ではドイツ語はまだまだ存在感があります。こういうクラシック音楽とつながって言語がいつまでも生き続けるというのはすごいです。わが日本語も日本の文化とつながって世界に広がってほしいのですが、さてどうでしょう。日本の文化に興味をもつ外国人が日本語を学ぶケースもあるでしょう。今世紀末に人口が大幅に減少する日本で、日本語がどのようになっているのか、とても気になります。日本語と日本の文化力を国際的にもっと高めたいものです。何もしなければ、グローバル化の名のもとに、じわじわと英語や中国語に侵食されていきそうな予感がします。

 

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今日のマルちゃん

アルシュ水彩紙 粗目 SMサイズ

ホルベイン水彩絵の具

 

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「合唱」レコード(ストコフスキー指揮ロンドン交響楽団