わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ゴールドクレスト(ヒノキ科・イトスギ属)

2020年11月9日

 

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ゴールドクレストは、ひと頃大流行した植物です。クリスマスシーズンが近づくと、小さな植木鉢に植えられたゴールドクレストが花屋さんの店先や園芸品店に沢山並んでいました。我が家でも家を新築した約30年前に小さな鉢植えを買って、玄関脇に植えました。ゴールドクレストの名の通り、きれいな黄緑色〜黄金色が鮮やかな洋風の植物です。将来どこまで大きくなるのか、余り予想もしないで植えてしまったので、30年後の今は下から見上げるほど大きくなってしまいました。高さは植木屋さんが大きくならないように毎年適当に剪定してくれて、今は真四角の樹形です。放っておくと、高さ20mぐらいになるそうです。何しろイトスギの仲間ですから。ゴッホが絵に描いているあの木です。外から見ると、我が家の狭い敷地に大きなゴールドクレストが目立ちます。台風シーズンになると、この大事な木が風で倒れないようにロープで縛るのが結構な作業です。

 

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木全体の表面は緑が相変わらずきれいですが、木の内部に下から潜ってみると、もうそろそろ寿命が近いのかなと思われるぐらい葉や枝が枯れています。しかし、まだこの木とサヨナラするわけにはいかないようです。というのは、毎年、この大木が生えている地面からセミの幼虫があちこちの枝に這い登ってきて成虫に脱皮するからです。

 

今年も枝に幾つも抜け殻を残しています。多分クマゼミでしょう。今日はその「夏の名残」をスケッチしました。

 

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アルシュ水彩紙 中目 F4

鉛筆、シュミンケ固形水彩絵の具

所要時間:1時間

 

ソメイヨシノの落ち葉

2020年11月8日

 

今日は午前中にアメリカの大統領候補ジョー・バイデン氏の勝利宣言演説がインターネットやテレビで中継されました。今回の大統領選挙はバイデン氏とトランプ大統領との大接戦で世界中から注目されましたが、結局バイデン氏が勝利しました。

 

バイデン氏の演説は、今回の選挙で大きく分断されたアメリカ国民の融和と、新型コロナ対策や地球温暖化対策、そして経済の発展に全力をあげると訴えるなかなか力強いものでした。原稿もなく、その場で正面を向いて声を張り上げて聴衆に訴える姿。とてももうすぐ78歳になる高齢者とは思えない気迫を感じました。気迫といえば、破れたトランプ大統領もすごかったですね。自らが新型コロナに感染しても、直後から激戦州を繰り返し遊説。あの2人のエネルギーは、日本人(政治家)も見習わないといけないと思いました。

 

民主党の新しい大統領には、科学的根拠に基づいたしっかりした新型コロナ対策、そして、これも科学を無視しない地球温暖化・エネルギー対策を期待したいです。トランプ大統領は予想もつかない大胆な政策や言動で、結構注目を集め、外交面や国内の雇用問題などではかなりの成果をあげたと思いますが、新型コロナに対する対策の甘さが致命的でした。アメリカでは現在約1,000万人の感染者、24万人の死者がでています。また地球温暖化は科学者のでっちあげだと主張し、アメリカは温暖化防止のための世界的議論・行動の枠組みからあっさり脱退してしまいました。これらの、世界が協調して取り組まなければならない地球規模の緊急の課題に、アメリカがもっとリーダーシップをとってもらいたいと思います。

 

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今日のスケッチは、ソメイヨシノの落ち葉です。近所の公園の桜の木の下に落ちている枯れ葉を拾って、自宅で描きました。ソメイヨシノは、春の花はもちろん見事ですが、秋の紅葉もとてもいいです。

 

ラングトン水彩紙 中目

鉛筆とシュミンケ固形水彩絵の具

所要時間:1時間

 

運転免許の更新に伴う高齢者講習

2020年11月7日

 

一昨日、運転免許の更新に伴う高齢者講習を初めて受けました。地元岡山の自動車学校で受講するようになっています。私が運転免許を取ったのは今から40年前。場所は当時住んでいた福岡市でした。それ以来、自動車学校に来るのは久しぶりです。これまで40年間、幸い無事故でした。違反は、10年ほど前に一旦停止義務違反が1回ありました。まあ、これまでは比較的順調だったと思います。70歳を過ぎたこれからは、さらに慎重な運転が必要であることは自覚しています。高齢者の事故が多発しているので、他人事ではありません。

 

今回の講習ですが、何しろ岡山県でも連日新型コロナの感染者が二桁の数字で発表されているなかで、ちょっと受講にためらいがありました。教室で講義を受けるのに、3密にならないだろうか、アルコール消毒や手洗いはちゃんとやっているのか、実際に教習所内のコースで車の運転をするのですが、隣に座る指導員との距離は大丈夫か、車の窓は開けているのか、などなど、心配の種はつきません。

 

実際に出かけてみると、教室は8名。人数を予約で少人数に絞っているようでした。机の間の間隔はかなり空けてありました。車の実地運転では、やはり予想どおり横にマスクをした指導委員が座り、運転上の注意をしてくれました。窓は閉めたまま。これについては、当日晴れた暖かな日だったのに、特別の配慮はなされていないようでした。ミラー、シートベルト、ハンドル、サイドブレーキなどを素手で触さわるので、後で手指をアルコール消毒液で十分消毒しました。

 

その後、目の検査がありました。静止視力、夜間視力、水平視力の検査です。私の場合、夜間視力が同年代と比較しても「劣っている」という判定でした。

 

以上の講習と検査で2時間。料金は5,100円。全国一律の料金です。そしてこの講習を受けた上で、免許更新手続きをしますが、その際2,500円がかかります。年金生活者にはちょっと負担が大きいですね。それでも、これでこれから先3年間は運転できるので、この出費はやむを得ないのか(できればもっと料金を下げて欲しいとは思います)。次は75歳になるので、認知機能検査が加わり、またまた免許証更新のハードルが高くなります。さて、いつまで運転できるのか、いつ免許証を返納することになるのか。他人事と思っていたことが、だんだん自分にも近づいてきます。生活スタイルも徐々に変えていかなければと、今回思いました。

 

ところで「高齢者マーク」(枯れ葉マーク)は車に付けなければならないのでしょうか? まだ自分は若いつもりでいて、運転にもある程度自信があるので、これもちょっと抵抗があります。

 

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今日のスケッチ

朝の散歩道で出会う地域猫ブレッド君

Avalon水彩紙 SMサイズ

鉛筆、シュミンケ固形水彩絵の具

こんな本読んだことありますか? 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版) [その3『日本文化私観』(坂口安吾著、青空文庫)]

2020年11月6日

 

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『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版)の第3回(NHK Eテレの放送第3回目で、第3章に相当)のタイトルは、「法隆寺より停車場を」という、これまた過激なものです。大久保喬樹さんの文章をそのまま引用します。

 

「『堕落論』が大きな反響をよんだのは、敗戦直後の混迷状況を鋭く見抜き、それに立ち向かうための大胆な処方箋をズバリと提示してみせたからです。しかし、実は、そこに説かれた思想自体は、なにも時代にあわせて生み出されたものではなく、すでに、それ以前から安吾本来の信念として主張されていたものでした。

(中略)

これは(『日本文化私観』は)、日本人を呪縛してきた伝統的日本文化観をばっさりと断ち切る、まさに爆弾的とも言える論考であり、安吾がすでに戦時中から一貫して無頼派的な思想を幅広い領域にわたって唱えつづけていたことを示すものです。それに世間の方が戦後になって追いついたというわけです。

(中略)

『日本文化私観』は、冒頭でまず、いかにも挑発的、挑戦的な調子で建築家ブルーノ・タウトの日本文化観に反駁(はんばく)するところから始まります。

 

 『僕は日本の古代文化に就(つい)て殆ど知識をもっていない。ブルーノ・タウトが絶賛する桂離宮も見たことがなく、玉泉(ぎょくせん)も大雅堂(たいがどう)も竹田(ちくでん)も鉄斎も知らないのである。いわんや、秦蔵六(はたぞうろく)だの竹源齋士など名前すら聞いたことがなく、第一、めったに旅行することがないので、祖国のあの町この村も、風俗も、山河も知らないのだ。タウトによれば日本に於ける最も俗悪な都市だという新潟市に僕は生まれ、彼の蔑(さげす)み嫌うところの上野から銀座への街、ネオン・サインを僕は愛す。茶の湯の法式など全然知らない代わりには、猥(みだり)に酔い痴れることをのみ知り、孤独の家居にいて、床(とこ)の間などというものに一顧を与えたこともない。

 けれども、そのような僕の生活が、祖国の光輝ある古代文化の伝統を見失ったという理由で、貧困なものだとは考えていない』

 

そして大久保喬樹さんの解説は、「より便利な生活が必要」という安吾の主張の紹介に続き、「文化は自然にはかなわない」、「人工の極致こそ美である」、という安吾の言葉を中心に進められていきます。安吾は、法隆寺でさえ邪魔だと思えば壊して停車場にすればいい、とまで言うのですが、それでは安吾にとって印象的な建物とはどんなものかと言うと、小菅(こすげ)刑務所の建物、ドライアイスの工場、入江に浮かぶ軍艦なのだそうです。

 

私がこの『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版)を読んで「よかったなあ」と思ったのは、第4回(第4章)で、著者が坂口安吾論から岡本太郎に導いてくれた点です。岡本太郎は明治44年(1911年)生まれの洋画家・彫刻家。東京美術学校進学後、10年余りパリに滞在。あの「芸術は爆発だ!」の名言を残し、大阪万博の「太陽の塔」を制作したことで有名です。岡本は坂口安吾の思想や行動を受け継ぎ、既成の日本文化観を打ち破る新しい芸術を模索しました。岡本太郎縄文土器の奇怪な美に魅せられたようで、『四次元との対話 縄文土器論』を書いています。

 

最後に再び大久保喬樹さんの解説に戻って、終わりにします。

 

「いままでの常識的な美意識を根こそぎひっくりかえしてしまうような縄文土器の奇怪な美しさに触れて、岡本は、それまでの狭い日本伝統観と訣別し新たな日本美のあり方を提唱します。

 岡本は『伝統とは似たような形式をくりかえすことではありません』と述べます。長くヨーロッパで暮らした岡本は、世界の『非情でたくましい、さまざまの伝統』に触れてきたことで、帰国して触れた日本の文化、特に『伝統文化』と言われるものが『ひどくよわよわしく、陰性であるのにがっかり』してしまったのです。

(中略)

(岡本は)縄文土器のを生み出した精神のあり方に立ち戻ることで、従来の弥生土器から侘び寂(わびさび)にいたる平板で静的な伝統日本美術観の呪縛を断ち切り、現代の新たな美意識、倫理観、世界観を確立することを説くのです。

(中略)

 岡本は特に安吾の名を挙げてはいませんが、ここに述べられている主張はまさに『堕落論』『続堕落論』『日本文化私観』で主張されたメッセージを継承するものと言えるでしょう。

 付け加えるなら、テレビの画面から腕組みした岡本が大きな目玉をかっと見開くようにして言い放つ有名なキャッチフレーズ『芸術は爆発だ!』もまた、安吾の檄(げき)『堕落せよ!』の岡本版と言ってもさしつかえないでしょう。」

 

この安吾に思想を受け継いだ岡本太郎の芸術論、私にとって大変刺激になりました。岡本太郎の『四次元との対話 縄文土器論』はいつか読んでみたいと思います。

 

 

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こんな本読んだことありますか? 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版) [その2『続堕落論』(坂口安吾著、青空文庫)]

2020年11月5日

 

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本文の口絵写真



 

大久保喬樹さんの 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版)では、『堕落論』から『続堕落論』に読み進み、さらに安吾の思想を深く解説していきます。「一人曠野(こうや)を行け」と題された第2回(Eテレの放送の第2回目で、第2章に相当)では、つぎのように書かれています。

 

安吾は、『堕落論』の8ヶ月後に発表した『続堕落論』において、人間がつくる制度の功罪を、村社会や天皇制を例に、より具体的に論じています。

 たとえば戦時中、農村文化こそ日本文化の原点であり、この原点に還れなどと盛んに言われたことをとりあげて、実際の農村とは代々受け取ってきた既得権益を守ることだけに執着して凝り固まっているような保身の文化であり、それは戦時中の軍隊や戦後の成金などにも継承されていると痛烈に指摘します。

 また天皇制については、藤原氏なり将軍家なり、時代時代の執政者が自らに都合よく天皇を利用するためにつくり出した制度に他ならず、この図式は戦時中の軍部と天皇の関係にそのまま当てはまるのであり、国民もそれを受け入れていたことを指摘します。そして天皇玉音放送により終戦が告げられたことを振り返り、人々は天皇によって救われたというが、歴史を見渡してみれば天皇とは非常時に持ち出される『奥の手』で、『軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰めの一幕が八月十五日となった』と喝破するのです」

 

そして坂口安吾の『続堕落論』の中のもっとも有名な部分を引用しています。

(以下、『続堕落論』の本文より引用)

 

「たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ! 

 我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか」

 

安吾は戦前・戦中の社会の仕組み・制度を「からくり」と呼び、この「からくり」から脱することが「堕落する」ことだと書いています。やはり敗戦とアメリカ軍による占領という当時の社会の大変化が、こんな思い切った主張を生み、それに共感する多くの読者に支持されたのでしょう。

 

安吾の文章には勢いがあります。主張がこもっています。天皇制だろうがなんだろうが、遠慮なく文章に書いて、社会(読者)に訴えようとする。そのエネルギーの凄さに圧倒されます。ちょっとこんな小説家はいないなあ、という印象を持つ人が多いでしょう。堕落には大きなエネルギーがいります。支持する人もいれば嫌悪する人もいるでしょう。安吾のすさまじい生き方は、私のような平凡な人間には、とても真似できなくてうらやましいぐらいですが、過去にこんな人がいて、日本の終戦の混乱期にこんな熱のこもった作品を残したということは、また大きな刺激になります。

 

『続堕落論』も短い作品で、インターネットの青空文庫で公開されています。

 

 

 

こんな本読んだことありますか? 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版) [その1『堕落論』(坂口安吾著、青空文庫)]

2020年11月4日

 

これもNHKの朝ドラ『エール』の影響でしょうか。戦後すぐの日本の社会を書いた坂口安吾の作品を読みたくなりました。坂口安吾の多くの作品がインターネットの「青空文庫」に収録されているので、誰でも無料で読むことができます。

 

大久保喬樹さんの『100分de名著 坂口安吾 堕落論』の解説は、ポイントを押さえていて分かりやすい文章です。実際の『堕落論』を読む前、そして読んだ後にこの解説書を開くと、坂口安吾の世界がなお一層理解できると思います。

 

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『100分de名著 坂口安吾 堕落論』に使われた写真の多くが、私が前に紹介した写真家・林忠彦氏の撮影によるものです。林忠彦写真集『昭和を駆け抜ける』の裏表紙には、坂口安吾の仕事場での写真が使われています(昭和22年東京・蒲田)。「家人も入れたことがないという仕事場を、頼み込んで見せてもらい撮影した」と写真に説明書きがありました。机の上や畳の上に原稿や資料が乱雑に散り、半袖シャツ姿で座机に座った安吾の眼鏡越しの眼がギラギラ光る。なんとも凄まじい写真です。

 

 

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坂口安吾とはどういう人物だったのか。この『100分de名著 坂口安吾 堕落論』ではそれがよく分かります。この本は作品論というより作家論なのではないか、と思えるぐらい、安吾の紹介に力が入っています。安吾は明治39年(1906年)新潟市生まれ。父親は地元の資産家で衆議院議員。13人兄弟姉妹の12番目に生まれました。学校では初めは成績優秀でしたが、やがて成績が落ちて落第。東京の私立中学へ転校します。東洋大学印度哲学倫理学科入学・卒業。アテネ・フランセで熱心にフランス語と、20世紀フランス文学を学びました。昭和6年から小説を書き始め、多くの作品を書きましたが、太平洋戦争が終わるまでは大きく注目されることはありませんでした。戦後、昭和21年(1946年)に評論『堕落論』、小説『白痴』を発表して、一躍脚光を浴びた安吾は、その後非常に多忙な人気作家となります。「無頼派」と呼ばれて注目されますが、生活は荒れて、薬物中毒・発狂状態になるなどしました。その間も多くの注目される作品を書きましたが、昭和30年(1955年)脳出血で、48歳で亡くなりました。

 

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『100分de名著 坂口安吾 堕落論』の著者大久保さんは、「はじめに — 混迷する社会に立ち向かうために」の部分で次のように書いています。

 

「では、戦後70年を経たいま、この『堕落論』を読む意義はどんなところにあるのでしょうか。

 昨年(本書の出版は2016年7月)、憲法改正是非の問題などでさまざまな議論がなされたように、いま、日本人や日本社会は、どのような方向に向かっていけばよいのかという進路が明確に見えにくくなってきています。そうした状況に私たちはどう立ち向かえばよいのか―。

 『堕落論』の中で安吾は、そうした時には原点に還ることが必要だと述べています。世の中の規範、道徳、常識といった前提条件をいったんすべて外し、いわば素っ裸の人間になって現実に直面してみろというのです。安吾が放つ、固定化された前提を突破していくエネルギーは、常識的な人間にとって目から鱗が落ちるように刺激的なものです。特に、人生の転機に立った人、いままでの自分のやり方ではこれ以上進めないと感じている人にとっては、大変“効く”評論であるとも思います」

 

なるほど、安吾は、裸になって現実にぶち当たることを「堕落」と表現したわけですね。『堕落論』は短い作品です。青空文庫では坂口作品を487も公開しています。どれも戦後の混乱期の社会の中で、常識破りのエネルギッシュな作品群のようです。75年前の敗戦以来、日本人が迎えるおそらく最大の危機が今年2020年の新型コロナ感染症の拡大かもしれません。コロナ禍にある現代日本社会にとっても、何か大事なヒントがこれらの作品にありそうです。私も時間がある時に、少しずつ読んでみたいと思います。

 

クロガネモチ(モチノキ科・モチノキ属)

2020年11月3日

 

秋になってクロガネモチの実が赤く色づいてきれいです。実の色は夏は青い地味な色ですが、秋になると鮮やかな赤になります。関東以西に分布する常緑高木。葉は楕円形で厚く光沢があります。夏も冬も1年中強い光を受けるので、葉の表面にクチクラ層が発達して、余分な光を反射しているのでしょう。

その葉がやや黒みががっているので、クロガネモチ(黒鉄もち)という和名になりました。強い植物で、庭木や街路樹に使われています。

 

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