わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版) [その2『続堕落論』(坂口安吾著、青空文庫)]

2020年11月5日

 

f:id:yaswatercolor:20201105191932j:plain

本文の口絵写真



 

大久保喬樹さんの 『100分de名著 坂口安吾 堕落論』(大久保喬樹著、NHK出版)では、『堕落論』から『続堕落論』に読み進み、さらに安吾の思想を深く解説していきます。「一人曠野(こうや)を行け」と題された第2回(Eテレの放送の第2回目で、第2章に相当)では、つぎのように書かれています。

 

安吾は、『堕落論』の8ヶ月後に発表した『続堕落論』において、人間がつくる制度の功罪を、村社会や天皇制を例に、より具体的に論じています。

 たとえば戦時中、農村文化こそ日本文化の原点であり、この原点に還れなどと盛んに言われたことをとりあげて、実際の農村とは代々受け取ってきた既得権益を守ることだけに執着して凝り固まっているような保身の文化であり、それは戦時中の軍隊や戦後の成金などにも継承されていると痛烈に指摘します。

 また天皇制については、藤原氏なり将軍家なり、時代時代の執政者が自らに都合よく天皇を利用するためにつくり出した制度に他ならず、この図式は戦時中の軍部と天皇の関係にそのまま当てはまるのであり、国民もそれを受け入れていたことを指摘します。そして天皇玉音放送により終戦が告げられたことを振り返り、人々は天皇によって救われたというが、歴史を見渡してみれば天皇とは非常時に持ち出される『奥の手』で、『軍部はこの奥の手を本能的に知っており、我々国民又この奥の手を本能的に待ちかまえており、かくて軍部日本人合作の大詰めの一幕が八月十五日となった』と喝破するのです」

 

そして坂口安吾の『続堕落論』の中のもっとも有名な部分を引用しています。

(以下、『続堕落論』の本文より引用)

 

「たえがたきを忍び、忍びがたきを忍んで、朕(ちん)の命令に服してくれという。すると国民は泣いて、外ならぬ陛下の命令だから、忍びがたいけれども忍んで負けよう、と言う。嘘をつけ! 嘘をつけ! 嘘をつけ! 

 我等国民は戦争をやめたくて仕方がなかったのではないか。竹槍をしごいて戦車に立ちむかい、土人形の如くにバタバタ死ぬのが厭でたまらなかったのではないか」

 

安吾は戦前・戦中の社会の仕組み・制度を「からくり」と呼び、この「からくり」から脱することが「堕落する」ことだと書いています。やはり敗戦とアメリカ軍による占領という当時の社会の大変化が、こんな思い切った主張を生み、それに共感する多くの読者に支持されたのでしょう。

 

安吾の文章には勢いがあります。主張がこもっています。天皇制だろうがなんだろうが、遠慮なく文章に書いて、社会(読者)に訴えようとする。そのエネルギーの凄さに圧倒されます。ちょっとこんな小説家はいないなあ、という印象を持つ人が多いでしょう。堕落には大きなエネルギーがいります。支持する人もいれば嫌悪する人もいるでしょう。安吾のすさまじい生き方は、私のような平凡な人間には、とても真似できなくてうらやましいぐらいですが、過去にこんな人がいて、日本の終戦の混乱期にこんな熱のこもった作品を残したということは、また大きな刺激になります。

 

『続堕落論』も短い作品で、インターネットの青空文庫で公開されています。