わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

甲子園 響く校歌に 涙腺が・・・  兵庫県西宮市 甲子園球場

2019年3月


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第91回選抜高校野球の2日目第3試合に出場する母校、鳥取県立米子東高校の応援に、甲子園球場に出かけました。春夏の大会を通して、高校野球の応援に甲子園を訪れるのは初めてです。何しろ今回23年ぶりの出場ということで、もう私が生きている間には母校の甲子園出場は見られないかもしれないと思って、意を決してでかけました。
 
新幹線で新神戸下車。新神戸で降りるのは本当に久しぶり(30年ぶり)。新神戸駅売店で昼食用に豚まん3個とおにぎり2個を買って地下鉄へ。JR新神戸駅から地下鉄乗り場までが長いのを思い出しました(昔、新幹線駅ができたばかりの頃、月に2、3回この新神戸駅から地下鉄に乗っていました)。地上から地下ホームへ長いエスカレーターで降りるのですが、今日は反対の上りエスカレーターが故障していて、ここを階段で登って行く人は大変そうでした(帰りは逆コースをとったので、案の定、この上り階段で息が切れました)。地下鉄新神戸駅から1駅で三宮駅、そこで阪神電鉄の特急に乗り換えます。そして甲子園下車。


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甲子園に来るのも久しぶりです。前に来たのは1985年(つまり今から35年前)阪神タイガースの全盛期で、吉田監督率いる阪神が、真弓・バース・掛布・岡田の強力打線で21年ぶりのリーグ優勝を果たし、球団史上初の日本一を達成した年です。あの時の甲子園に響き渡ったタイガーズの応援歌「六甲おろし」の歌声はすごかった。今日はあの日以来の甲子園。高校生球児あこがれの聖地です。


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朝10時半に球場に着くと、入場券を買い求める人のい長い列。母校の試合開始は午後2時なので、それまで無料の外野席で第2試合の明豊(大分)―横浜(神奈川)戦を観戦することにしました。外野に行ってみると、外野も8割ぐらい席が埋まっていました。何とか席を見つけて腰を落ち着けて、まずおにぎりで腹ごしらえです。やがて第2試合開始。1回、2回と横浜が3得点し、大喜びの横浜の応援団のブラスバンドの音が場内を圧倒しました。このまま横浜が押していくのかと思っていると、3回に明豊打線がつながって何と一挙5点の逆転。明豊高校ブラスバンドが今度は勢いづきます。そしてジリジリと明豊が差を広げる展開。


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外野席はよく日があたり暖かで、日曜日で家族連れが熱心に応援しています。5回の裏を終えたところで午後1時になり、そろそろ一塁側のアルプススタンド席の入場券を買わなければと思い、外野席を立って、外に出て、球場正面の1塁側アルプス席の発券所へ行きました。すでに行列が10メートルほど出来ていたので、その後ろに並んで待ちます。スマホの気象予報によると、曇で気温11℃。高速道路の下に並ぶので日陰で寒さを感じます。体感温度9℃。実際はそれ以下でしょう。持ってきた防寒具を全て身につけてじっと我慢。普段、野外でスケッチしているので、これぐらいの寒さは1,2時間は大丈夫です。そして発券を待つ人の列はどんどん伸びて約30メートルの長さに。「米子東の関係の方ですか?」と列の前後の人と話をすると、鳥取市出身の人や倉吉市出身の人でした。鳥取県は全県で56万人の人口しかない小さな県ですが、県民の郷土愛は強いです。それに感動しました。そして午後2時になり、2時半になり、2時45分になり、場内で試合開始のサイレンが鳴って、「もうなんぼなんでも券を売って欲しい、もう寒さが我慢できない」、と思った頃、「本日アルプス席は満席で入場券を発売できません」と非情のアナウンス。仕方なく、1塁特別自由席券売り場に走っていき、2000円払って入場券を買って急いでスタンドに入りました。


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ちょうど1回の裏、後攻の札幌大谷高校の攻撃でした。持ってきた豚まんを一つ食べて何となく球場全体を自分のカメラで写し始めた時に、快音一発。先頭打者ホームランでした。わあ、さすがに昨年秋の明治神宮大会優勝校だけあって、札幌大谷は強そう。そして1回の裏が終わり2回の表。母校の校歌が場内に流れました。「そうだ、この音を記録しよう」と、あわててビデオ撮影しましたが、あわてすぎて校歌の後半しか記録出来ず、非情に残念。撮影しながら、感激して涙が出そうでした。


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3回表米子東が反撃して1点返し同点。なかなかいいゲームです。しかし、3回裏に相手に3点入れられて、ちょっとがっくり。米子東は森下投手のボークがあったり、内野手のトンネルがあったりしましたが、ドンマイドンマイ。なかなかキビキビした高校生らしいプレーで満員の観客を引きつけました。

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エース森下はその後、粘りの投球。見ていて安心感がある安定したうまい投球です。それに対して札幌大谷の太田投手は6与四死球とやや乱れがち。その乱れに乗じて米子東には満塁のチャンスなどもありました。しかし、全体に相手の打力、守備力がわが母校を上回っていた感があります。米子東は健闘及ばす4-1で破れました。とてもすがすがしい試合で、満足しました。あーあ、それにしても寒い甲子園!特に1塁側の大屋根の下は寒いです!アルプス席に行きたかった!


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試合後、場外へ出ると、群衆に混じって、今日応援に来ていた母校の高校生たちがいました。「残念だったけど、いい試合だったね!」と声をかけたくなりましたが、黙って行き過ぎました。本当は、在校生とOBと一緒になって、場外で校歌でも歌いたかったですね。また、次があることを願いながら。
 
米子東高校は昭和35年(1960年)の第32回春の選抜高校野球の準優勝校です。優勝戦は香川の高松商業と9回裏まで1-1。9回の裏に高松商業サヨナラホームランで劇的な敗戦でした。当時、私は島根県松江市の小学校6年生。翌年、父の転勤で鳥取県米子市に移り、米子4中(現在の後藤ヶ丘中学)へ。そして高校は米子東へ。そういう状況の中で、当時の米子では米子東の生徒さんはみんなが憧れる存在でした(今でもそうかもしれません)。何しろ県下一の進学校です。スポーツも強いです。長い伝統が今も受け継がれています。鳥取県民はもちろん、お隣の島根県人でも何となく甲子園で応援したくなる高校ですね。スポーツだけに打ち込んでいる訳ではなく、勉強もして普通の公立高校から勝ち上がって甲子園に行く。これがすがすがしいです。今朝の朝刊各紙も特集でこの文武両道の米子東高校を取り上げていました。これからも頑張れ!米子東高校。