バリの夜 最後の最後で 蚊にさされ (インドネシア バリ島 水彩スケッチ)
2014年9月
朝起きてみると、気分はかなり良くなっていました。Mさんが、「今日は実際どんなですか?」と心配そうに言われたので、すぐに「大丈夫、行けます!」と答えました。「よし!」とMさんも安心したようです。「これから7時に朝ごはんを食べて、すぐにウブドに行くよ!」というMさんの声に励まされて、1階のダイニングルームに行き、準備されていたスクランブルエッグ、ソーセージ、パン、ジュースの朝食を食べました。この朝食はシンプルなのに、ことのほか美味しくて、グッと元気がでました。皆を乗せる空(から)のバスが七時半にヴィラの前に来ました。Mさんと、今度の旅で何かとお世話になっている地元のYさん(日本に留学経験があり、日本語が達者な若者です)と一緒にバスに乗り込んで、グループが昨晩から泊まっているバリ島中部のウブドのホテルに向かいました。約1時間半の行程でした。道中、バリの中心デンパサールを通りました。日本の領事館も見えました。通りは大きな通りも小さな通りもバイクであふれかえっています。
バイク、ほとんどと言っていいぐらい日本製です。ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ。しかも皆、排気量の小さいタイプです。交通渋滞がひどいので、車で出かけると予定の時間に目的地には着かないそうで、それで皆、バイクに乗るのです。このバイク、2人乗りはもちろん、3人乗りや、小さな子どもを乗せた4人乗り、大きな犬を乗せた人など、曲芸もどきのスリル一杯の乗り方をするライダーがあちこちにいます。ヘルメットをかぶらないのは違法ですが、警察は違反者にもそれほど厳しくないそうです。
このバイクの集団が通りのあちこちから、まるで銀蠅かミツバチみたいにぶんぶんエンジン音をたてながら大通りになだれこんできます。まさにアジアの熱気です。この熱気、今の日本には無いですね。その昔、日本が経済成長著しかったころにこんな風景があったかというと、それもちょっと記憶にありません。その頃も日本人はもっと穏やかに動いていたとおもいます。不思議なことに、こんなにバイクにあふれているのに、交通事故の現場には一度も出会いませんでした。怒鳴り合ったりもしません。みんな暗黙のうちに譲り合いのルールを理解し、それに従っているみたいです。
そう言えば、町を走る車も殆ど日本製です。日本の企業のインドネシアでの力を印象づけられました。すごい日本企業の努力です。
ウブドのホテルに来ました。グループの人たちが、私が早く回復したのを喜んでくれました。ウブドのホテルは、実にゴージャスなホテルです。部屋が敷地の中に一つ一つ独立して作られていました。部屋の中も見せてもらいましたが、超豪華なリゾートタイプです。プールもあちこちにありました。
このホテルを出発して、ゴア・ガジャ(象の洞窟)に行きました。11世紀に造られた古代遺跡です。ここはヒンズー教の聖地らしく、沐浴(もくよく)場があって、お供えを持った若い人たちが順番に沐浴をしていました。上から流れてくる水を直接頭に受けて、なかなか気持ちよさそうでした。
昼食は超豪華なホテル「アマン・ダリ」のレストランで食べました。埼玉県出身の日本人の女性が従業員で働いておられて、丁寧に対応してくださいました。ここでは、用心して、ミーゴレン(インドネシア風焼きそば)を食べました。これはほっとする美味しさでした。日本の焼きそばに結構似ていました。バリにいて、結局一番おいしかったのは、ナシゴレン(インドネネシア風焼き飯)とミーゴレンでした。こういう庶民的な味が多分私には一番向いていると思います。食事を終わって、ホテルの敷地に咲いている南の国の植物をスケッチしました。やはり、私にはヤシの木が一番印象的です。
昼食後は、夜の飛行場到着まで、カゴ細工の店やスーパーマーケットなど、あちこちで買い物をしました。私はシンプルライフを目指して、日頃からいらないものを持たない・買わない生活をしているので、コーヒー豆とチョコレートをおみやげに買っただけ。今回の旅では全部で110,000インドネシアルピア、つまり丁度1,000円の出費でした。
美味しい中華レストランで夕食をとり、荷物の片付けをすませ、飛行機の出発が夜中の2時だったので、最後に夜10時頃に全員でタイ式マッサージの店に行きました。マッサージは生まれて初めての経験でした。人に体を触られるのがいやだったので、できればパスしたかったのですが、「全員行きます」、とMさんが元気に言われるので、恐る恐るついて行きました。フロントで簡単な説明が日本語であり、男女一緒に一列にマットの敷いてある長い部屋に入りました。マットとマットの間は可動式のカーテンで仕切られ、入り口もカーテンがしてあります。すぐに上下の半袖・半ズボンのマッサージ着に着替えました。「どこまで脱いだらええん?」と横の方の女性が大きな声を上げたので、「全部脱がなくていいよ!」と思わずあわてて声をかけました。部屋は薄暗いのですが、のんびりした「喜多郎のシルクロード」の曲みたいなバックミュージが流れています。そのうち、個々のスペースを仕切る横のカーテンが全て半分ぐらい開いて、黒い体操着のようなユニホーム姿の若いお姉さんたちが一列にならんで、その曲に合わせてマッサージをはじめました。最初は仰向けになって足の指先から丁寧にもんでくれます。一人真ん中にリーダー格の女性がいて、その他の人たちは開いたカーテン越しに、そのリーダーの動きを見ながらそのとおりにやっているようです。私のマッサージをしてくれた人は若いのですが、よく太った女子プロレスラーみたいな体格のお姉さんで、なにしろ力が強かったです。足の指から始まりもものあたりまで、いろいろ揉んだり押さえたり叩いたりするのですが、思わず痛くて「ギャー」と言いたくなりそうな力です。「痛い」と英語でいう時は「it achesなんだろうか、I ache なんて言っていいんだろうか」、普通は「ouch! アウチ、痛い! だよなあ」、と痛みを表現する英語が頭をよぎります。「そうか、こんな時は、単純に No! No! でいいんだ」。大学で学生さんに英語を教えていたのに、こんな実践を試される場面で、「痛い!」とまともに英語で言えないのが我ながら情けない! そして、足を開いて予期せぬ方向にぎゅうぎゅう押し曲げられた時には、「これが昨日でなくてよかった」としみじみ思いました。昨日なら、こんな無理な体位をさせられると、思わずオシリの穴から腸の内容物が噴射したにちがいありません。
次にうつぶせになって、また足や背中や腕のマッサージです。ふと気が付くと、何やら足がかゆくなり、足元に蚊の気配がしました。「わあ、これは参ったなあ、こんなところで蚊に刺されるなんて」、と思い、足をバタバタさせましたが、女子プロレスみたいなお姉さんに抑えこまれて身動きができません。結局ここで、2, 3箇所蚊に刺されたようです。蚊には特に気をつけてきて、ここまでほぼ無傷できたのに、此処に至ってついに伏兵にやられました。若い F 先生なども、かわいそうに顔をいくつか刺されていました。しかし、こんな痛いマッサージの最中にもイビキをかいて寝ている剛の者がいました。私は自分ではないことを示すために「僕じゃないよ!」とまわりに叫んでいました。
マッサージに約1時間半。終わってみれば、得難い経験で、大変満足しました。みんなそれぞれに満足して、デンパサール空港に向かいました。デンパサール空港を夜中の2時20分発で韓国のインチョン空港に向かいます。最後までハードなスケジュールです。