わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ベッドにて 南方戦線 浮かびくる (インドネシア バリ島 水彩スケッチ)

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インドネシア旅行4日目。昨晩からのひどい下痢で、今日はとてもあちこち動きまわるのは無理です。他の人達とは行動を別にして、私は一人で一日ヴィラの自分のベッドで休むことにしました。幸い、旅行の世話をして下さるMさんがヴィラ側と交渉し、もう1日私の滞在延長の話をつけてくれました。F先生も心配して様子を見に来てくださいましたが、「多分1日休めば回復します」と答えて、お互いの携帯電話の連絡先を確認し、その後、グループは予定通りにバリ島北部のキンタマーニ高原に向けて出発していきました。今日の予定は、キンタマーニ高原、コーヒー農園、ティルタ・エンプル寺院、モンキーフォレスト、ウブド散策、夜はバリダンス鑑賞と盛沢山。


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私は、正露丸とポカリスウェット、それに保存食を少しずつ食べて、ベッドで体調の回復を図りました。万が一に備えて地元の病院のリストも日本を出る前にコピーしておきましたので、これ以上悪くなった時には病院で点滴や治療、も覚悟しました。Mさんが日本語の分かる地元の人に連絡しておいてくれて、その人もあとで追加のポカリスウェットと下痢止めをもってヴィラを訪れてくれました。


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ベッドで眠りながら頭に浮かんだのは、不思議なことに自分が体験したことのない太平洋戦争中の旧日本軍の南方での戦いのことでした。いろいろな本を読み、映画をみたり戦争体験者の話を聞いたりすると、太平洋戦争中、この近くのボルネオ、ジャワ、スマトラパプアニューギニアフィリピン諸島など、どこでも何万という日本兵がジャングルの中でマラリアデング熱に悩まされながら、しかも飲水や食糧もまともにない状況で米軍と戦わなければならなかったといいます。これはすさまじく過酷です。水に当たって、下痢でヨレヨレになっても、その水以外飲むものは無く、暗いジャングルでは蚊に次々と襲われ、高熱でうなされても薬がない。こんな静かなエアコンの効いた部屋のベッドからは想像も出来ない状況です。

 

午前中に少し元気になったので、ベッドから起き上がって1階のダイニングルームにいって、置いてあったカップ麺にお湯を注いでお昼ごはんにしました。これでかなり元気になりました。次に暇つぶしに、ここにイーゼルをたてて、部屋から見えるヴィラのプールと庭の様子をスケッチしました。



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スケッチしていると、やがてヴィラの入り口のドアがノックされて、ルームサービスの掃除の若い女の子達と男性が入ってきて、ダイニングの食器のかたづけや床掃除、各部屋の掃除、それに庭やプールの掃除を始めました。皆、おそろいのTシャツやランニングパンツのような制服ですが、足は裸足です。私の絵を見ながら「絵が趣味ですか?」と女の子が英語でたずねてきたので、「そうだよ。あたなも絵が好き?」と聞くと、「私も好きです」と答えてくれました。「この庭を描いているの?」と聞かれたので、「ここ綺麗だよね」と答えて描き続けました。まだ、体が本調子ではないので、ふらふらしながらのスケッチです。ヴィラで働く人達は、若い年齢層の人たちが多いと思いました。この掃除をしてくれた若い人たちも、中学生か高校生ぐらいに見えます。だいたいバリの若者は素直で童顔で幼く見えるのだと思います。お礼にチョコレートの箱を渡しました。

 

午後もしっかり休養しました。お腹をこわしたときは、「正露丸」と「ポカリスウェット」と何かに書いてあったので、その通りにしましたが、やはりそれが正解でした。とにかく脱水症状にならないようにポカリスウェットを飲み続けました。また、午後になって、Mさんが様子を見に帰ってきてくれて、かなり心強かったです。体調が次第に元にもどり、多分明日はグループに合流できそうな感じになってきました。