木下利玄の生家スケッチ (岡山県岡山市足守)
2012年8月

この足守という町は、豊臣秀吉の正室北の政所(ねね)の実兄木下家定が、関ケ原合戦後この地を領有して以来、約260年間足守藩として栄えた町です。木下利玄は足守藩主と血がつながる、いわば地元の名家の子供で、子供のころに藩主の養子として上京、学習院、東京帝大国文科で学んだエリートでした。

木下利玄を調べてみると、彼は佐々木信綱に短歌を学び、武者小路実篤や志賀直哉らと雑誌「白樺」を刊行したとあります。平易な言葉で、歌壇に新風を巻き起こす歌を多く残したということです。利玄は結婚して4人の子供に恵まれましたが、悲しいことにそのうちの3人は幼くして世を去り、このことが彼にとっては大変大きな精神的痛手になったようです。本人も40歳の若さで、結核で亡くなりました。

足守は、武家屋敷や商家の土蔵がきれいに残されていて、落ち着いた静かな町です。今日は暑い一日で観光客はまばら。足守プラザで、まず「利玄うどん」一杯600円を頂いて、腹ごしらえをしてから、スケッチ場所を探して歩きました。古い町並みは、とても描きたい魅力いっぱいの町並みなのですが、何しろ日がカンカン照りで、日陰が見当たりません。仕方なく、近水園(おみずえん)という木下家の庭園まで歩き、その近くにあった木下利玄生家前でスケッチしました。この生家はかなり大きく、門をくぐると中に復元された家屋がきれいな形をして現れます。戸が全部閉められていて、内部が開放されていなかったのが残念でした。スケッチしていると、ツクツクボウシが鳴き、カラスが鳴き、トンボが飛び、田舎の夏そのものでした。帰りに、足守観光駐車場の売店でいちごのソフトクリームを食べました。この地は、足守メロンでも有名です。町を流れる足守川は清流で、初夏にはホタルが飛び交います。

