わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

ホヤぼーや でえれーかわいいー! 気仙沼 (宮城県 気仙沼市 水彩スケッチ)

20147

イメージ 1

 

「震災復興支援 日帰りバスツアー」で南三陸町の次に気仙沼を訪れました。まず初めに来たのがリアス・アーク美術館。ここで新しく地元の男性ボランティアガイドの方が加わって、美術館にある立体地図模型の前で、気仙沼の地理的な特徴や周辺の場所の説明がありました。その後、美術館の中に展示してある気仙沼市内の被災写真や震災・津波で残されたものをゆっくり見て回りました。

 
イメージ 2

気仙沼市は震度6弱。津波の高さは最大20m。市内では石油タンクが破損し、流出した石油に引火して、市内が約1週間燃え続けました。家庭のプロパンガスのボンベの爆発が火災にさらに勢いをつけたようです。破壊されたプロパンガスボンベが展示されていましたが、まるで空襲で焼けた容器のような感じで、津波の恐ろしさを伝えています。その他、自動車やら、自転車やら、ミシンやら、どれも壊れ方がすさまじいです。あの地震津波の当日、私達は真っ暗な闇の中で気仙沼の湾内のあちこちで火の手が上がっているテレビの映像をただ呆然と見ていましたよね。


イメージ 3

 

気仙沼市の死者は1,041名。行方不明者は236名。避難者数2万人。そして仮設住宅3,503戸。今なお多くの方が仮設住宅に住んでいますが、夏は暑く冬は寒く、本当にその名前の通り「仮設住宅」で、とても長くは住めなくて、もう限界とのお話でした。


イメージ 4

 

気仙沼は水産加工場や大型冷蔵庫がある水産業の盛んな町です。かつお、秋刀魚(さんま)、フカヒレ、ホヤ、三陸わかめ、などなど、新鮮な魚介類が水揚げされ、取引されています。復興もすこしずつ進んで、新しい大型冷蔵庫や食品会社の社屋ができていました。さあ、これから頑張ろうという雰囲気がありました。港には大型の漁船が停泊し、多分昔のにぎわいを取り戻しつつあるのだと思います。私が訪れたつい2,3日前には天皇・皇后両陛下も南三陸気仙沼と続けてご訪問になったようです。


イメージ 5

 

港のまわりの丘の上には被災しなかった街が綺麗にその姿を見せています。この気仙沼には宮城県の重要な歴史的建造物がいくつもあり、その一部は地震津波で破壊されたようですが、まだ幾つかが残っているというガイドの方のお話でした。この町は森進一の港町ブルースで歌われたように、雰囲気のある港町です。「流す涙で割る酒は だました男の味がする あなたの影を ひきずりながら 港 宮古 釜石 気仙沼」。何だかこの港を見ていると、あの歌の雰囲気がぴったりです。この町にいつかまたゆっくり来て、(女のひとにだまされたくはないですが)元気な港の風景をスケッチしたいものです。

 
イメージ 6


気仙沼市のパンフレットを見ると、「このような甚大な被害を受けたにもかかわらず、気仙沼市では、震災復興計画のキャッチコピーを「海と生きる」とし、そのフレーズのとおり海と共に歩む決意をしました」とあります。そして「先人達はこれまで何度も津波に襲われても、海に可能性を信じ再起を果たしてきました。人智の及ばぬ壮大な力としながらも、海を敵視せず、積極的に関わりあって暮らしてきました。それは単に「海で」生活していたのではなく、人間は自然の一部であることを経験的に体得し、対等の関係を築いて「海と」生活していたとも言えます。その態度が自然観や運命感しいては死生観となりました」と続きます。人間は自然の一部である、というのは本当にそうですね。大地震も大津波も実は地球の上でのほんの小さな出来事で、それは何度も繰り返し起きて、何の容赦もなく人間の作ったものをひっくり返します。人間はその時々に自然の力の凄さを感じ、自分たちも地球の一部でその中で偶然生かされている存在であることを理解します。


イメージ 7

 

しかし、「人間がすごい」と思うのは、そういう自然の力の中で、また挫けずに元に戻り、さらに元よりずっといい形に自分たちの生きる環境を進化させようとしていることです。それが、この被災地を見ていて感じられます。復興は遅々として進んでいないのかもしれませんが、諦めていなくて前に進んでいるのがすごいですね。

 
イメージ 8


帰りに復興商店街に寄りました。商店の中年の男性と少しお話をしました。「地震や大津波は本当にひどかったけれど、それを乗り越えていく人間の力もすごいですね」と話しかけたところ、「でも、気力も体力もいつ折れるか分からないんですよ。先が見えないからねえ」との返事でした。頑張ってください!と声をかけましたが、現実は厳しそうです。復興商店街も元からあった商店街も人通りは少なく、スピーカーから流れる歌がやけに元気なだけに、それと比べてやはり寂しい感じはありました。「(この町に住んでいた)人がまた戻ってくるかどうか微妙だね」との地元の方のお話でした。


イメージ 9

イメージ 10

 

町の通りを見ると気仙沼の観光キャラクターが目につきます。「海の子 ホヤぼーや」というのだそうです。手に持っているのは剣ではなくて秋刀魚(さんま)です。ベルトにはホタテ貝のバックルがついています。かわいいですね。私が住んでいる岡山の子供たちが見たら「でえれーかわいいー!」と岡山弁で叫ぶでしょうね。ちなみに、岡山弁では「でえれー」がすごいの意味の基本形で、比較級が「ぼっけー」、最上級が「もんげー」です(だそうです)。この町の人々がこのホヤぼーやのように明るい表情になるように、これからも全国の支援が必要です。岡山から来た子供たちが「もんげー町じゃ!」とびっくりするぐらい復興してほしいですね。私はせめてもの支援にと、鰹の生節(なまぶし)と秋刀魚パイをおみやげに買いました。


イメージ 11


イメージ 12