わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「読書と日本人」 (津野海太郎著、岩波新書)

2017年5月6日


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本の帯には「それでも人は、本を読む! 本と私たちの関わりをゼロから考えなおす、初めての読書史」とあります。まず、このメッセージにひかれます。本好きならちょっと読んでみたくなる。著者の津野海太郎(つの かいたろう)さんは、1938年福岡生まれ。早稲田大学卒業後、劇団「黒テント」制作・演出、晶文社取締、和光大学教授、図書館長などを歴任。この本、扱っている内容がユニークなのと、著者の文体が少し変わっていて面白い。
 

「第一部 日本人の読書小史」の第一章は「はじまりの読書」。最初の項目は、『源氏物語』を読む少女です。以下、その冒頭部分をそのまま引用します。

 

「本はひとりで黙って読む。自発的に、たいていは自分の部屋で―。

 それがいま私たちがふつうに考える読書だとすると、こういう本の読み方は日本ではいつはじまったのだろう。 

 たぶんあのあたりかな、と思われる記録がふたつ残されています。

 ひとつは菅原道真の「書斎記」という短い随筆で、九世紀の終わりちかく、平安遷都のほぼ百年後に書かれたもの。そしてもうひとつが、ご存じの『更級日記』ですね。いなか育ちの中くらいの貴族の娘が親戚の女性に『源氏物語』のひと揃いをもらって、われを忘れて読みふける。あの愛すべき一節をふくむ回想録の執筆されたのが十一世紀なかば―。

 このふたつの文章から見て、いま私たちが<読書>とふつうに呼んでいる行為がこの国に根づきはじめたのは、おおまかにいって、菅原道真から同じ血筋の菅原孝標の女(むすめ)にいたる百五十年ほどのあいだのことだったのではないか、という推測がつく。つまり平安時代の中期。私は専門家ではないので厳密なことはいえませんが、とりあえずそう当たりをつけておくことにします。とりあえずというのは、ざんねんながらこの国には、シロウトの私をしっかり手助けしてくれるような専門家の手になる読書通史のたぐいが、まったく存在しないからです。」

 

ここまで読んだだけでも、菅原道真紫式部菅原孝標の女など、昔、高校の古典の時間に初めて習ってその後すっかりご無沙汰の人たちの名前に久しぶりに出会って、なつかしい気分になります。これが読書の楽しいところです。そして誰でも一度は通過した日本の古典文学からスタートし、津野さんの会話調のやさしい語り口に乗せられて、興味深い「日本人の読書小史」についついはまり込んでしまいます。

 

次に、「第2章 乱世日本のルネサンス」、「第3章 印刷革命と寺子屋」、「第4章 新しい時代へ」と続く本文。この文章を読んでみると、これは実にユニークな歴史の本だと分かります。流れるように書かれている歴史書。著者は「自分はこの分野の専門家ではない」と謙遜していますが、日本の読書に関する大事な歴史的事実を次々と分かりやすく説明していて、それが現代の読書事情にどうつながっているか、もとてもよく理解できます。

 

そして津野さんが力をいれているのが「第二部 読書の黄金時代」。読書の近代史と現代史がとても面白い。私も恥ずかしながら最近自分の専門外の絵画の本を自費出版しているので、出版業界のかかえる現在の問題と将来展望がとてもよく理解できます。本好きの人なら、この部分を読むと自分の少年時代や青年時代に出会った文学全集や雑誌のことを再び思い返して懐かしくなると同時に、これから日本の出版、図書館のあり方、そして読書そのものがどうなるのだろう、と深く考えさせられます。漢字の少ない口語調の文体がとてもユニークで、私の文章とちょっと似ているところもあるなあと思いながらあっという間に読み終わりました。