わたしの水彩スケッチと読書の旅

どこまでも、のんびり思索の旅です

こんな本読んだことありますか? 「なつかしい時間」(長田弘著、岩波新書)

2017年1月9日
 
詩人 長田(おさだ)弘さんのエッセイ集です。長田弘さんは1939年福島市生まれ。早稲田大学独文科卒。つい最近、2015年に75歳で亡くなりました。亡くなった際に、長田弘さんの死を惜しむ記事が新聞各紙に大きく出て、私たちは彼の作品が多くの人に影響を与えていたことを知りました。また一時彼の著作のブームも起きました。この「なつかしい時間」もその頃インターネットで注文したのですが、しばらく在庫切れでした。
 
私が長田弘さんを知ったのは学生時代でした。当時、長田さんは多分20歳代後半か30歳代に入って間もない頃だと思います。当時はベトナム反戦運動と大学改革運動で全国の大学で全共闘運動の嵐が吹き荒れていました。私のいた大学もその例外ではありませんでした。大学2年の秋の大学祭の時に、当時の大学の学生自治会がゲストとして呼んだのが、この若き詩人長田弘さんでした。私も他の多くの学生に混じって長田さんの講演を遠くから聞きましたが、演壇上で沢山の学生たちに静かに語りかける長田さんのイメージは頭に残っているものの、話の内容は全く憶えていません。しかし、多分当時から長田さんは若い学生たちの間で大きな支持を得た詩人だったのだと思います。
 
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あれから約50年。初めて彼の本を読んでみると、この詩人のやさしさ、おだやかさ、そしてやはり詩人として人並みでない才能が分かってきます。この本はエッセイ集ですが、所々に彼の詩が挟まれていて、それらを味わうことが出来ます。目次を見て気がつくのは、風景、眺め、見る、見つめる、時間といったキーワードが繰り返し出てくることです。表題の「なつかしい時間」から分かるように、このエッセイは読んでいて素直に受け入れられる「人生の先輩からのアドバイス」というような雰囲気があります。そして、このエッセイの底辺に流れているのは、生きる喜びと、限りある生命へのいとおしさ、というようなものだと思います。
 
例えば、「大切な風景」というエッセイ。
 
「自分がそのなかで育てられた風景というものに助けられてわたしたちの経験、あるいは記憶はつくられています。わたしたちの文化もそうです。風景のない文化はありませんし、芸術というものをつねにささえてきたものは、風景を深く見つめる姿勢です。(中略)たとえ自分ではそうと思っていなくても、じつは風景の中で感じ、思い、考えるということが、わたしたちの日々の姿勢をつくっています。風景のなかに自覚的に自分を置いてみる。すると、さまざまなものが見えてくる、あるいは違って見えてくる、ということがあります。(中略)いまは、何事もクローズアップで見て、クローズアップで考えるということが、あまりにも多いということに気づきます。クローズアップは部分を拡大して、全体を斥(しりぞ)けます。見えないものが見えるようになった代わりに、たぶんそのぶんわたしたちは、見えているものをちゃんと見なくなった。風景のなかに在る自分というところから視野を確かにしてゆくことが、いまは切実に求められなければならないのだと思います」
 
この文章を読んで、日頃外で水彩風景スケッチをしている私としては、長田さんの書いておられることに非常な共感を憶えます。風景をその場で2、3時間かけてスケッチすることは、風景の中に自分を置いて自然と自分との関係を通して自分自身を考えることなんだ、と納得できます。
 
一般に詩人の書いた文章はストレートにすぐによく分かる、ということは少ないのですが(私の勝手な印象かもしれませんが)、長田さんの文章は、一度読んだ文章があとで懐かしくてまた何度でも読み返したくなるような、そんな文章です。全体の文中に引用してある世界や日本の様々な詩人や作家のエピソードにも興味をひかれます。